父から受け継いだ小さな酒蔵 ひとつの投稿が招いた危機〈前編〉

公開日:2026年10月12日

  • 佐々木政幸(アズソリューションズ)
    あらすじ

    *この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。

    四国の山あいに佇む栄酒造。3年前、社長の栄田羊三郎が心筋梗塞で突然この世を去った。娘の栄田弘美が後を継ぐも杜氏の心ない言葉をきっかけに従業員が離れ、小さな酒蔵に残ったのは母の登美子、営業の柏原泰三と山野由紀恵だけ。ある日、時川恵という女性が蔵を訪れる。「栄誉」という日本酒が2人の縁を結ぶが……。

    守るために、まず疑う

    蔵の中は、静かだった。

    冬の朝の冷気が古びた梁と土壁に染み込み、白く細い息となって立ち上る。そこには、いくつもの酒樽が生きている。ぷつ、ぷつ、と目と耳を凝らさなければ気づかないほど微かな発酵の気配。

    ――酒は、毎日呼吸している。父の声が、耳の奥で蘇る。「弘美、いいか。酒は人より正直だ。手を抜けば、すぐに死ぬ」栄田弘美は、手にした木の柄杓をそっと樽の中に沈めた。白く濁った液体が、わずかに揺れる。その香りを確かめるように、顔を近づける。甘い。だが、どこか弱い。

    まだ足りない……小さく息を吐き、ゆっくりとかき混ぜる。腕の筋肉がじわりと痛む。慣れない作業を三年も続けているというのに、身体はいまだに“素人”のままだった。

    三年前。父・栄田羊三郎が、突然この世を去った。心筋梗塞だった。あまりにもあっけなく、理不尽な人生の終わり方だった。その日から、蔵の時間は狂い始めた。「女に酒が造れるのか」最初にそう言ったのは、杜氏とうじだった。時代錯誤な言葉に流され、蔵人くらびとたちも一人。またひとりと去っていった。

    残ったのは母の登美子と、営業の柏原泰三と山野由紀恵の二人だけ。四国の山あいにひっそりと佇む栄酒造は、空洞のようになっていた。そこに追い打ちをかけるように、新型コナウイルス感染症が襲ってきた。飲食店は閉まり、日本酒の需要は一気に冷え込んだ。次々に発注が止まり、倉庫には出荷されない瓶が積み上がっていく。止まらない発酵。減っていく資金。弘美の頭に、何度も同じ言葉がよぎった。

    ――倒産。「……ダメ」思わず声に出していた。柄杓を握る手に力がこもる。ここで止めたら、父が守り続けてきたものが途切れてしまう。

    初代から受け継がれてきた「栄誉さかえほまれ」。それはただの酒ではない。この蔵の歴史そのものだった。だから弘美は蔵に籠もり続けた。“酒の呼吸を止めるわけにはいかない”自分が潰れてもこの酒だけは……。誰もいない蔵の中で自問自答の日々が続いた。心が折れそうになっても、発酵の音に耳を傾けて...

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