あらすじ
*この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
地方の精密電子機器メーカー・瑞原電機産業に“特捜”の捜索が入った。即戦力として採用した技術者の松井裕斗が、元勤務先の有馬精機から設計データを持ち出していたのだ。しかも松井が開発部長と交わしたメールに《有馬の制御ロジックを持参できれば理想的だ》とあった。広報の高瀬恒二は社長に会見を提案する。
逃げるのか、向き合うのか
午前8時59分。梅雨明け前の、湿った重たい空気。灰色の雲が低く垂れ込め、海の色まで鈍らせている。
玄関前に停まった二台の黒いワンボックスカーを見た瞬間、高瀬の背中に冷たいものが走った。車から降りてきたのは、紺色のスーツ姿の男女。動きには一切無駄がなく、その視線は鋭い。中央の男が身分証を静かに掲げた。「東京地方検察庁特別捜査部です」“特捜”。その言葉は、重みを持つ。
「令状に基づき、御社を捜索します」高瀬恒二は一歩前に出て、深く一礼した。「広報責任者の高瀬です」声は安定していた。だが、胸の奥で鼓動が速まっているのがわかる。
顔を上げ、辺りを見渡すといくつもの赤いランプが点滅していた。テレビカメラだ。すでに三脚も立てられている。レポーターがイヤホンを手で押さえながら、手元の原稿を確認している。あの赤いランプが点灯した瞬間、瑞原電機産業は“映像”になり、“物語”になり、“世論の素材”になってしまう。来るべきものが来た。
開発部のフロアでは、社員たちが凍りついたように立ち尽くしている。机の引き出しが次々と開けられ、サーバー室に捜査員が入っていく。捜査員がキーボードを打つ乾いた音や紙をめくる音が室内に反響する。それが静かな破壊の音に聞こえてくる。高瀬はその光景を見つめながら、3日前にかかってきた一本の電話を思い出していた。
「東京地方検察庁特別捜査部の小宮と申します」あの声には感情がなかった。松井裕斗。昨年、有馬精機という同業他社から転職してきた技術者。制御設計の即戦力として採用し、社内では“救世主”とまで呼ばれていた。その松井が、有馬精機の設計データを持ち出して...


