デジタル/リアルの双方の世界で情報やコンテンツが溢れている現代。そんな今、人が心を惹かれるのは、予定調和を鮮やかに裏切るような“リアルで体験できる”「異常値」のみである――。アート&テックプロデューサーの杉山央さんがさまざまな領域の「異常値」の仕掛け人の思考を探る本連載。初回の今回は、2001年にチームラボを立ち上げ誰も見たことのない体験を次々と生み出してきた猪子寿之さんにその創造の原点を聞きに行きました。
存在するとは何か
杉山 僕たちの直接の出会いは社会人になってからだけど、それ以前の大学生の頃から猪子さんは有名人だったよね。
猪子 そんなことないよ(笑)。いやでも俺も、央ちゃんが学生の頃にやっていた取り組みは知ってた。
杉山 え、本当?それは嬉しい。猪子さんがチームラボをつくったのが、東大に在籍していた2001年。僕が森ビルに入社したのが2000年。それぞれ学生の頃からメディアアートの領域で活動をしていて、なんとなく存在は知っている状態だった。そこから「森ビルデジタルアートミュージアム:エプソンチームラボボーダレス」(2018年~)に繋がっていったわけだけど。
今日は最初から、猪子さんに一番気になることを聞いてみたいと思う。それは創造性について。猪子さんは、“まだ見たことがないもの”をどう生んでいるのか。
猪子 「何か見たことのないものをつくろう」からは始めていない。活動の根本を振り返ると、学生の頃に、山のなかで風景の写真を撮っていたことを思い出す。でも現像した写真を見ると、自分が見ていた景色と、あまりにも違う。現実では山のなかで見ていた世界には自分がたしかに存在したのに、写真になったとたんに、そこに自分は存在しない。これはいったいなんなのか――。そんなのが気になってた。実際はもっと自分と世界は連続的で一体なのに、写真に撮ると、中景も遠景もあまりに遠すぎるというか。本当は自分と景色は近くにあったはずだったのに。
そこから、人間がこの世界を認識するとはいったいなんなんだろう?とかが気になっていったんだよね。写真や映像は世界をレンズで切り取っていたから、三次元空間を二次元平面に落とし込むのはレンズだけなのか?とか考えるようになった。
杉山 それは高校生くらいの話?
猪子 高校生の頃。なんとなく興味があった。もっと言うと、「生命は全てが連続性の上にしか成り立たない」ということも。人間は他の生命を食べてクソをして生きているのに、まるでこの世界を、境界があって独立した存在でできあがっていると認識しているかのような振る舞いをする。なぜそんな認識や振る舞いをするのか。根本的にそんなことに興味があった。
だからそういうことに対して、根本的・原理的に介入したいと思っている。三次元空間を二次元にするときにレンズのようなものは境界面を生むし、視点を固定するし、フォーカスが中心にくる。そうではなく、フォーカスがなく、視点が自由に、境界面があいまいになるようなものはないのか。境界面が不明確で、自分の身体がこの世界と連続するような映像。もしくは視点が移動して、身体が自由になるような映像、あるいは“三次元空間の二次元化”は、いったいどう...

