いまや音楽表現には欠かせないコンテンツとなったミュージックビデオ(MV)は、新曲の販売促進やアーティストのブランディングを担う広告として、また楽曲の世界観を体現する映像作品として、多様な役割を求められてきた。今回は映像ライターの林永子さんがその変遷をたどりつつ、アーティスト性とコマーシャル性が共存する現在のMVの在り方が確立されるまでを解説する。
テレビの音楽チャート番組のニーズ
1981年、米MTVの開局とともにMVの24時間放映が開始。2025年末には、現代のストリーミング環境に合わせて、世界各国のMTVの「24時間MV放映専門チャンネル」が終了した。約45年の間に、MVを見るプラットフォームはテレビからインターネットに移行し、コンテンツの在り方にも変化が生じていった背景がある。
まずはテレビ時代と、ストリーミング時代、それぞれの特性を再考しながら、音楽性とコマーシャルを両立させた事例を挙げてみたい。
米MTVの開局は、The Bugglesの『Video Killed The Radio Star』のMVから幕を開けた。1983年にはジョン・ランディス監督演出によるマイケル・ジャクソン『スリラー』が一世を風靡。1985年リリースのa-ha『Take On Me』のMVは、「Quantel Paint-box」(テレビ放送の映像とグラフィックスの合成に特化した画像処理システム)を使用し、実写、アニメーション、演奏シーンなどのさまざまな表現をシームレスに描き出した。
米MTV開局と同年、日本では洋楽チャート番組『ベストヒットUSA』(当時テレビ朝日、現BS朝日)が始まり、ランキングチャートにMVが登場。1984年にはピーター・バラカン氏が洋楽MVのクリエイティブを解説する『The Bopper’s MTV』(TBS)という深夜番組が放映され、コアな洋楽ファンを熱狂させた。当時MVを視聴できる場は限られていて、特に邦楽はEpic Recordsが所属アーティストを紹介する番組『eZ』(テレビ東京系列、1988~1992年)やテレビ神奈川の『ミュージックトマトJAPAN』(1984~2006年)などで見られたが、一般認知度は低く、一部の音楽ファンがオンエアをチェックしているような時代だった。
当時の日本の音楽映像といえば、テレビ番組やライブパッケージなどでの歌唱、演奏シーンが主流。そのパフォーマンスに、さらに映画のような物語、最先端の技術、音とシンクロする視聴覚表現など、それまで見たこともない革新的な演出を加えたMVは、MTVブランドと共に、音楽映像の最先端を世界に伝えるカルチャーアイコンとして、独自の進化を遂げていく。
元号が平成へと移行した1989年、日本初の音楽専門チャンネル『スペースシャワーTV』が開局。1992年には『MTV』日本版が、そして1993年には『COUNT DOWN TV』(TBS系列)の放送が始まり、邦楽MVの需要が一気に加速。ランキング発...


