【あらすじ】
インサイダー取引疑惑でダンタノンホールディングス社長の神野悟が逮捕された。常務執行役員兼広報部長の龍崎晴臣にとって、不祥事対応は屈辱であり汚点でしかない。「俺が出れば収まる」と高をくくってマスコミの前に現れるが、これまで情報提供という飴で手懐けてきたはずの記者たちから厳しく追求されてしまう。

不祥事対応という“汚点”
「会見はしないんですか!」怒鳴り声が一階のエントランスに響き渡る。日ごろから笑顔を絶やさない受付の女性二人の顔は蒼白になり、指先は震えている。
「社長が逮捕されたのであれば、ダンタノン側はまず説明すべきですが、今のところ誰もカメラの前に現れません」テレビ各局のリポーターがビルの前で伝え続けている。リポーターたちは淡々とカメラに向かうが、記者たちは違う。「社長が逮捕されたんですよ。企業として説明責任があるでしょう!」「この会社には広報がいないんですか」現場に駆けつけた記者たちの罵声が飛び交う。
「好き勝手なこと言うよな」受付裏の壁にもたれた広報課長の虻川豪が呟く。「説明するのが当然だ。俺でも同じことを言うだろうな」広報部長の龍崎晴臣が虻川の言葉を受けとめる。「集中砲火を浴びにいくか……」ダンタノンホールディングスの常務執行役員でもある龍崎が諦めの表情をつくる。
これまで十四の企業をグループに収め、その度に社長の記者会見を行い、会社のイメージをつくり上げてきた。仕掛けたのはすべて龍崎である。企業買収の中心には必ず龍崎の名があった。
“龍崎が動くときは何かある”。記者の中には龍崎が記者クラブに顔を出した日時をひそかに記録していた者までいる。龍崎が記者クラブに二日連続で顔を出すと、ほぼ間違いなくダンタノンで動きがある。記録していた記者の答えだった。現にその記者は二度、ダンタノンの買収発表を当日の朝刊で抜き、経済部の中枢に出世した。もっとも、龍崎がリークしたというのが記者クラブ内の共通認識ではあるが。
広報部長として辣腕を振るってきた龍崎にとって、社長逮捕という屈辱的なスキャンダルは耐えがたかった。「敏腕広報マンの龍崎さん。説明ぐらいしてください。会社に有利なことは積極的に情報をリークしておいて、不祥事では無言ですか」天井の高いエントランスに響いたのは、静かだが怒りを含んだ声だった。声を聞いただけで顔が浮かんだ。あの声……なぜここにいる。今は金融業界を担当しているはずだ。
二階堂隼人。暁新聞経済部のエースで半年前まで流通業界を担当していた。金融担当に異動する直前、ダンタノングループの経営戦略について社長の神野悟に取材している。取材から一週間後に掲載されたのは、七五行の記事だった。
ダンタノンが行ってきた企業買収の意味はもとより目指す理想像を、神野は予定を大幅に超える二時間にわたり饒舌に語った。同席した龍崎と虻川は、神野が時折みせる態度に不安を覚えていた。取材後、記事の構成を訊きだす体で二階堂を引き留めた。「神野さんのあの自信、いや過信をあなた方は心配している。悪意のある記事にしないでほしい、ですよね」二人の心中は読まれていた。
「わが世の春を謳歌している。そんな姿でしたね」応接室で二階堂が静かに話し始めた。「十四もM&A(企業買収)を仕掛けてきたのですから、それは自信もつきますよね」と笑う。「記事はどんな構成になりそうですか」虻川が訊く。「取材させていただいた内容を掲載するだけですよ。何か問題でも?」「いいネタありました?」龍崎が探る。「飛ぶ鳥を落とす勢いの企業トップですからね。訊く側にとってはネタの宝庫と言っていい」
「掲載前に原稿を見せていただくわけにはいきませんか」虻川が訊く。二階堂が二人の顔をじっと見つめる。「御社は公表前の資料を誰かに渡したりします?」視線を外さない。「最近は平気で情報をリークする広報もいるそうですが」目の奥で睨まれているように見える。
龍崎が咳払いをする。「うちと手を組みませんか」有能だと思える記者には飴を与えるように囁いてきた。他社より優遇しますよと言外に匂わせてきた。ネタを取り記事を書くことが仕事である記者にとって、ネタ元を持つことは武器を手に入れるに等しい。言葉の意味を理解できそうな記者のほとんどは“落ちた”。
「リー……」龍崎が言葉を継ごうとすると、二階堂が掌を向け制止する。「これがあなた方のやり方ですか」二階堂が笑顔をつくってみせる。「転んだ記者がいるんでしょうね。御社と手を組むという言葉の意味が私には理解できない。どういうことですか」笑顔が失笑に変わる。
どう答えたものか虻川が頭の中で言葉を選びにかかる。「いつもとはいきませんが発表前に情報提供させていただきます」先に龍崎が餌をまく。「で?」「で、とは?」「うち(暁新聞)のメリットは?」誘いに乗ってきた。記者なら情報が誰よりもほしいだろう。断れる記者などいない。二人はそう思った。
「社長取材を他社よりも優先しますし、発表前の情報もご提供します」虻川が身を乗り出しながら言う。「そうですか……」二階堂もやはり記者なのだ。右手で顎を擦りながら考え始めた。虻川が横目で見ると、龍崎が自信に満ちた空気を漂わせている。
「お断りします」考える素振りをみせていた二階堂の顔が二人に向く...