にぎやかなイベント会場が一転「まさか」の見落としが招いた悲劇〈中編〉
【あらすじ】
今年で5回目を迎えた「ヨコハマハーバーフェスティバル」。北野たける県知事や横浜市長らが登場するオープニングイベント会場で突然の爆発事件。野戦病院と化した会場で、横浜ハーバービューホテルの広報担当・佐伯瑛太は無力感を覚えながらも対応にあたる。警察からは、内部犯行の可能性も高いと告げられ……。

「賢明な県民の皆さまへ」
──午前十時十九分
サイレンが幾重にも重なりあいながら近づいてくる。佐伯瑛太が海沿いの道路に目をやると、救急車と消防車が猛スピードで向かってきていた。「がんばれ!もうすぐ救急車がくるぞ!」そこら中で叫び声が聞こえる。絶叫に近い。
知事や市長、商工会議所の会頭が座っていたステージの床は、爆発の衝撃でところどころ地面が見えていた。設置していたテントは骨組みごと吹き飛ばされている。華々しく開会するはずだった"第五回ヨコハマハーバーフェスティバル"が爆音に包まれたのは、つい十分前だった。地鳴りと爆風が会場を襲った。人々は逃げ惑い、パニックに陥り、他人を押し倒すことで負傷者がさらに増えていった。
「どうしてこんなことに……」金属音のような音が耳の中で鳴りやまない。爆発の風圧で地面に叩きつけられた瑛太だったが、スーツが破けた程度で怪我らしい怪我はなかったようだ。周囲の声はどうにか聞こえる。
誰かの叫ぶ声に顔を向けると、救急隊員が負傷者の手首にトリアージタッグをつけていた。その多くは「軽症者」や「待機可能な要治療者」を示す緑色や黄色のタッグをつけた者だが、「生命にかかわる重篤な状態」の赤色も見える。「救命不可能」の黒色のタッグが上に置かれた"人間"とおぼしき塊もある。"惨状"という言葉しか出てこない。
「知事!大丈夫ですか」イベント責任者である友川優作の叫ぶ声が瑛太の耳に届く。振り向くと友川と目が合った。「佐伯!……大丈夫か!」「なんとか大丈夫です!」蒼白な顔をした友川が救急隊員に向かって手を振る。視線を友川の足元に落とすと何人かの男たちがうずくまり、周囲には音響機材などが散乱している。その中に北野たける知事の姿があった。粉塵で灰色に染まった濃紺のスーツが地面に横たわったままピクリとも動かない。
救急隊員が駆け寄り手首にそっと指を添える。首を左右に振りながら黒のタッグを静かにつけた。身体が小刻みに震え、恐怖が脳と体を支配していた。自分にはどうにもできない無力感に押しつぶされそうだった。
──午前十時四十五分
笑顔で埋め尽くされていた会場は、野戦病院と化した。「危険なので下がってください!」警察の声にも構わず周囲を野次馬が埋め尽くす。テレビ各局も現場からのリポートに力が入っている。「仲間がやられたんだ、当然だよな」瑛太は呟く。時間の経過とともに負傷者の数も増えている。
このイベントは夏の風物詩になっていた。今年もまた賑やかで華やかな二日間になるはずだった。横浜ハーバービューホテルの広報担当三年目の瑛太にとっては広報経験を積むいい機会だったが、今回のようなケースは考えたこともなかった。「何から手をつければいいんだ……」
「佐伯さん。一体何があったんですか!?」背後から声がかかる。地元最大の新聞社、みなと新報社会部の寺脇耕三だった。「状況がまったく分からないんです」と首を左右に振る。「偶発?それとも意図的?」「それすらまだ……知事が挨拶しているときに突然でした」「知事は?」寺脇がたたみかけてくる。北野の手首についた黒のトリアージタッグが脳裏に浮かぶ。
「救急隊員が処置をしています」状況視認だけで答えるのは避けた。「意識はあるの?」「……そこまでは確認できていません」処置を待つしかないと付け加えた。
「うちも仲間が怪我をしている」取材していた十八社の中には、みなと新報の記者も含まれていた。カメラマンと記者二人の三人で来ていたのを確認している。取材に来ていたマスコミは三十三人。そのうち、ステージ前方で写真を撮っていたスチールカメラマン七人が爆発の衝撃で重傷を負い、十九人が打撲や擦過傷などの軽傷だった。
「ここまで酷いとは……」寺脇は取材を行おうと駆けつけたが、あまりの惨状に言葉を失ったという。「ホテルが狙われたのか、知事が対象か。それとも無差別なのか」と探るような視線を向けてくる。答えを持ち合わせていない瑛太は、首を横に振る。今は警察の現場検証の結果を待つしかない。
「ちょっといいでしょうか」背後からまた声がかかる。ホテルの警備服を着た男が立っている。左胸には「H.ANDO」と彫られた金色のネームタグが光っている。寺脇には聞かせたくないのか瑛太に近づいてくれるよう目で合図している。周りを見ても総務の者はいない。非常事態に担当部署や立場などと言っている場合でもない。俺が聞くしかないか。「どうかしました?」寺脇に聞き取られないように囁く …