生成AIの進化によって、高品質なビジュアルや映像を短期間、低コストで制作できるようになった。一方、世界のブランドは、表現の均質化や生活者からの反発という新たな課題に直面している。AIに任せる領域と、人間が責任を持つ領域をどう分けるべきか。米国と日本でブランディング支援に携わるビートラックス CEOのブランドン・K・ヒル氏が、海外事例をもとに解説する。
「AI製」になぜ反発するのか 問われるのは品質よりも誠実さ
生成AIの進化によって、一定水準の表現をつくるための技術的・費用的な参入障壁は大きく下がった。2025年6月のNBAファイナルでは、予測市場プラットフォームを運営するKalshiが、「Google Veo 3」で全編生成した30秒CMをABCの全国放送で放映した。制作期間はわずか2~3日、費用は約2000ドル。かつて数千万円と数カ月を要したテレビCM水準の映像を、誰でも制作できる可能性が示されたのだ。
しかし、この民主化の先でいま世界のブランドが直面しているのは、意外な問題だ。というのも、AIに任せるほど、アウトプットがどれも「小綺麗」になりすぎるのだ。破綻のない構図、整った光、欠点のない人物。技術的には高品質でも、そこからはブランド特有の癖や体温、つまり個性が削ぎ落とされていく。2026年のカンヌライオンズで繰り返された「Mediocrity at Scale(大規模な凡庸)」という言葉は、まさにこの現象を指している。多くの企業が同じような生成AIモデルやプロンプトに依存すれば、表現は似通い、「平均値の美しさ」へと収束する可能性がある。
海外ではすでに前述の弊害が...

