顧客の好みや要求を学習し、最適な提案を返す。このCRMの理想は、AIの登場で初めて生まれたものではなく、少なくともデジタル革命が始まった30年前から示されている。チャネルが「販路」から「接点」へ役割を変え、AIがCRMの出口を広げるいま、企業は顧客とどう関係性を築くべきか。熊本県立大学教授の岩井琢磨氏が解説する。
AI時代に再浮上する1to1の思想
最初に、ある文章を紹介します。
「顧客は企業に自分の好みや要求をどんどん教えていく。それが企業に競争上計り知れない大きなアドバンテージをもたらす。企業は、顧客が教えれば教えるほど顧客の望みにピッタリ応えるのが上手になる。何をどのように提供したらよいのかを熟知するのだ。一社と学習関係に入ってしまった顧客は、競合相手からの誘惑にも抵抗力が強い。たとえ別の会社が全く同じ商品やサービスを作り出す実力を備えていたとしても、自分のことは再びゼロから教えてやらなければならない。しかも、最初の会社ならすでに熟知していることを。そのために費やす時間とエネルギーは尋常ではない」。
まさに、今回のテーマである「AI時代に顧客はどうロイヤル化するのか」を見事に言い表した記述ではないでしょうか。しかしながら、これはAI時代に書かれたものではありません。今から30年以上前、1995年に出版された『One to Oneマーケティング』(D.ペパース&M.ロジャース著、ダイヤモンド社)からの一文です。1995年は、インターネット普及の黎明期。AIはおろか、当時のデジタル機器といえばFAXくらいという時代です。
つまり「AI時代、顧客はどうロイヤル化するのか」についての描写は、デジタル革命が始まった30年前にすでに示されているのです。問題はこれが具体化される構造の解像度を上げることと、そのなかにおいて、「CRMの役割を定義し実務に落とし込む」ことです。
この問いを考えるために、まずデジタル革命がもたらしたマーケティングにおける2つのパラダイムシフトを確認しておきます。ひとつ目のパラダイムシフトは、チャネルの位置付けの変化です【図表1】。チャネルのデジタル化は、単に「商品を売る場所がネットになった」レベルを超え、ビジネスモデルそのものを根本から変えるインパクトをもたらしました。多くの企業で新規事業開発を支援してきた経験から、従来の新規事業の思考は、まず「Product(製品)」を開発し「Price(価格)」を決め「Promotion(販促)」を企画して、最後に「Place(販路)」を検討していたように思います。しかし現在、新規事業を考える際はこの流れが真逆客理解の場」へと変え、そこから顧客に最適な提案を繰り出していく彼らの手法は、その業界でオフライン基点のモデルしかもたなかった企業にとって、株価が急落するほどの脅威となりました。
図表1 チャネルの位置付けの変化
また、フィットネス業界に革命を起こしたPeloton(ペロトン)も好例です。彼らは自宅に置くスマートバイクという「接点(Place)」を起点とし、そこから得られるデータ(走行履歴やバイタル)を通じて顧客を深く理解しました。そして、その理解に基づいた最適なフィットネスプログラム(Product)をオンタイムで配信・対話(Promotion)するモデルを構築したのです。
いまや伝統的な業態である百貨店も、独自性ある自社接点を基軸としてサービスパッケージを生み出す発想に立っています。例えばリテールバンク、高島屋などの百貨店では金融業に相次いで進出し、育成を強化しています。店舗を基点にクレジットカードや積み立てで顧客との対話を深め、投資信託などの仲介でつながり、資産管理も担うという一連の体験を提供すべく接点の設計を見直しているのです。
もうひとつのパラダイムシフトが、データ活用技術のコモディティ化です。先ほどのマーケティング・フローにAIを配置すると、大きく2種類の役割でそれらを加速させていくことがわかります。ひとつは、フィジカルの「データ化におけるAI」。これまで流れて消えるだけだった会議の音声が即座にテキスト化されるように、店舗などの顧客接点に設置されたカメラやマイクを通じ、映像や音声といったリアルな動きをAIが活用可能なデータ形式へと変換します。これまで見えなかった「未知の顧客」を、「既知の顧客」へと変える可能性が飛躍的に高まります。
もうひとつは、「データ活用におけるAI」です。接点から蓄積された膨大なデータを、AIが瞬時に分類・解析・紐付けして意味合いを解釈。そして、その解釈を元に、顧客一人ひとりに最適な提案(CRM)をリアルタイムで生成していきます。
顧客データに基づく提案という意味で捉えるならば、【図表2】のようにCRMの出口は劇的に広がっています。従来の「Promotion(対話)」の領域にとどまらず、顧客の状況に応じた「Price(対価)」の柔軟な提案や、個客に最適化した「Product(パッケージ)」を開発し提案することまでが、すべてCRMの実行領域に含まれていきます。
図表2 劇的に広がるCRMの出口
CRMはともすると、既存顧客に対するリピート促進や、Promotion領域に限定した施策として捉えられがちでした(本来のCRMの定義には、どこにもそんなことは書かれていないのですが…)。しかしCRMとは本来、「顧客に最適な提案を届け続けることで、顧客との関係性をマネジメントする」ことです。デジタル変革やAIの進化は、私たちを何か突拍子もない未知の地平へ連れていくのではありません。実現可能な手段を伴って、マーケティングの本質である「顧客基点」という原点へと、我々を強力に引き戻してくれるものなのです。
熊本県立大学
教授
Marketing Design Network
代表取締役
岩井琢磨 氏
1993年博報堂DYグループに入社し、2018年9月顧客時間を設立。Head of Managementとして、顧客時間に参画する多様なスペシャリストと共に、製造業・流通サービス業・金融業などにおけるCX変革プロジェクト・事業開発プロジェクトの設計・支援を行う。近著に『THE CUSTOMER CENTRIC COMPANY顧客基点経営10の実践』(宣伝会議)など。

