第62回「宣伝会議賞」のグランプリに輝いたのは、第25回以来37年ぶりとなる音声広告作品。鴻池運輸の課題において【取るのかい?取らないのかい?どっちなんだい?】篇で受賞した、石神慎吾さんに話を聞きました。
書き溜めたノートは終わった瞬間にすべて捨てた
―受賞のご感想を改めて聞かせてください。
名前を呼ばれた瞬間は驚きました。「宣伝会議賞」でグランプリを獲得するのは、きっとキャッチフレーズだろうと思っていたので…。
今回の「宣伝会議賞」には全部で約2000本の作品を応募しましたが、そのうちCMの作品は10本ほどでした。
基本的に「宣伝会議賞」はキャッチフレーズを考えていって、CMのほうが上手く表現できると思ったら字コンテに切り替えるようにしていました。今回、受賞した鴻池運輸の課題では、キャッチフレーズを80本くらい提出しましたが、どれも一次審査を通過できず。唯一通過したのが、この音声広告だったのです。

―社名を「フンコロガシ」に例える視点は審査員からも高い評価を得ていました。どのように生まれたのでしょうか。
それが、よく覚えていないんです…。応募期間中にたまたま訪れた上野の国立科学博物館で「昆虫MANIAC」という特別展をしていて、そこでフンコロガシが展示されていたのは覚えているんですが…。その場で思いついたのか、後から思い出して書いたのかもわからず…。というのも実は今回、「宣伝会議賞」の応募で書き溜めたノートは終わった瞬間にすべて捨ててしまったんです。約17年間応募してきたなかで、そんなことをしたのは初めて。それだけ「やり切った」という思いが、心のどこかにあったのかもしれません。ただ、ノートを捨てたことだけは後悔しています(笑)。
―いつもとは違う「宣伝会議賞」だったのですね。約17年応募いただいていたとのことですが、この賞に出会ったきっかけは何だったのでしょうか。
初めての応募は2007年です。食品系の会社で経理の仕事をしていて、元々コピーに興味があったわけでもなく、なぜ応募したかも忘れてしまったくらい偶然の出会いでした。
その年に20本くらい応募してみて「コピーっておもしろいな」と思った頃、書店で谷山雅計さんの『広告コピーってこう書くんだ!読本』(宣伝会議/2007年5月発行)が新刊として平積みされていたんです。手に取ってみると、そこには理論を学んでいけば、コピーは書けるようになるという趣旨のことが書いてありました。それまでコピーは芸術や小説、詩のようなアートに近いもので、自分にはその才能はないと思っていたのですが、この本との出会いをきっかけに、宣伝会議の「コピーライター養成講座」に通うことを決意しました。
当初は総合コース(現在の基礎コース)だけに通うつもりが楽しくなってしまって、その後上級コースを受講。そのまま専門クラスの石川・岡本クラス、そして谷山・井村・吉岡・照井クラスに通いました。
そこで同期として出会って仲良くなったのが、中高生部門で審査員長を務めている阿部広太郎さんと、歌人の木下龍也さん。講座を修了した2011年3月に“言葉を模索する会”として「うわのそらたち」というユニットを結成しました。今年は何かヒントになるかもしれないと思って木下さんの歌集を持ち歩いたり、贈賞式では会場に阿部さんもいるなかで受賞できたので、そこは本当に嬉しかったです。

コピーライターとしての一歩を踏み出そうとしていた
―これまでどのように「宣伝会議賞」に向き合ってきましたか。
初めて応募したときに、1本だけ一次審査を通過したのがテレビCMの絵コンテでした。今回、宣伝会議賞を卒業になった最後の1本もCMですので、なんだか感慨深いものがあります。

第一三共ヘルスケア「Regain24」の課題で、絵コンテで初めて一次審査を通過した(『SKAT.7』より)
最初の頃は毎年たくさん応募していましたが、最近は少なめに出したり、多く出したりとまちまち。そんな中で迎えた今回は、所属する会社で副業が許可されたこともあって、コピーライターとしての仕事を請け負ってみようと思い始めたタイミングでした。本業がコピーライターではない私にとって、2カ月間言葉と向き合う「宣伝会議賞」は貴重なトレーニングの場。まずは目の前にある「宣伝会議賞」に力を入れてみよう。受賞できれば自分にとっての宣伝になるし、書く訓練として取り組んでみようと思ったんです。
「宣伝会議賞」の期間中は、毎回はじめに、2カ月間どんなふうに取り組むか計画を立てます。でも実際にコピーを考えるときは、書き方や考え方のパターンは固定せず、とにかくぐちゃぐちゃとノートに書いていくタイプ。このとき、「新しい切り口」を探しまくるというよりは、見つけた切り口から「なるべく今までにない表現を」と掘り下げるようにしています。
毎回、難しい課題とわかりやすい課題をちりばめながら、期間内にバランスよく複数の課題に取り組むようにしています。最初の印象で難しそうと感じた課題でも、書き始めてみたら意外と書けたり。課題については最初にWebサイトを見てちょっと調べるくらいで、書くことを通して理解が深まっていく、という感じです。
―石神さんは今回、先端加速器科学技術推進協議会の課題で協賛企業賞も受賞されました。
はい。この「国際リニアコライダー(ILC)を日本に建設したくなるようなアイデア」というのも難しくて…。ILCの東北誘致が進んでいるということから、東北の経済への影響がどうの、とかを書いていく中で、ふと力の抜けたような「できたての宇宙をどうぞ。」というコピーが出てきたのだと思います。
コピーライター養成講座の総合コースに通っていた頃、他の受講生が書いた、柔らかく力の抜けたコピーに感銘を受けて、自分もそんなコピーを書けたらいいなと思ったんです。それ以来、そういう方向性のものを目指していますね。
―好きなコピーはありますか?
好きなコピーはたくさんありますが、小西利行さんの「モノより思い出。」(日産自動車/2001年)は印象に残っています。当時は大学生で、欲しい物が買えずちょっと落ち込んでいたのですが、テレビでそのCMが流れてきて、価値観が変わったんです。その先の大学生活は思い出をつくっていこうと、心が軽くなったのを覚えています。

2025年4月開催の「ニコニコ超会議2025」に出展した「高エネルギー加速器研究機構(KEK)」に先端加速器科学技術推進協議会も協賛。会場で配布された紙袋に、石神さんのコピーが用いられた。
日々のコミュニケーションも少しでもおもしろく伝えたい
―普段の生活で心がけていることはありますか。
すごくたくさん本を読んだり映画を観たり…ということはなく、普通に暮らしているだけです。コピーについては『コピー年鑑』などを読んでいますが、それ以外は意識してなにかインプットするというよりは、居酒屋でたまたま耳にした面白い言葉をメモしたりしています。スマホには記憶にないメモがたくさん残っていますね。ただ、先ほども言いましたが、今回の宣伝会議賞に関しては、木下龍也さんの歌集を持ち歩いて横目でチラリチラリとインプットしていました。
アウトプットの観点では、昔から特別文章が得意、ということもなく、「コピーなら短いから何とかなるんじゃないか」と思って始めたのがきっかけでした。でも、物事を少しでもおもしろく伝えたい、という気持ちはあります。会社で書く文章にしても、わかりやすく、ちょっとおもしろく。一般の会社だとコピーの勉強をしている人は他にいないので、社内でも、そこは得意分野として頑張ろうと思っています。
―今後の展望と、最後に読者の皆さんへのメッセージをお願いします。
今年から本格的に、コピーライターとしての仕事を頑張っていきたいと思っています。まだどういう形態でできるかはわかりませんが、グランプリをいただいたからには何かしないと。将来もし屋号を付けるとしたら株式会社フンコロガシでしょうか(笑)。なにかありましたら、声をかけていただけたらと思います。
コピーに出会ってからずいぶんかかりましたが、書き続けていれば、こういうこともありますよと伝えたい。まずはとにかくたくさん書いて、チャレンジしてほしいと思っています。