3月8日に行われた第61回「宣伝会議賞」の最終審査会。グランプリには、赤ちゃん本舗の課題に対する、貝渕充良さん、森脇誠さんのコピー「泣く子と育つ。」が選ばれた。過去にない2名同時のグランプリ受賞。コピーが生まれた背景や今後の展望について聞いた。
“社会が子どもと一緒に育っていってほしい、
という想いを込めました。”
“「母親目線」というのは一切やめよう、
ということは最初に決めていました。”
10年前にファイナリストに選ばれもっと上に行きたいと思った
―改めて、受賞への想いを聞かせてください。贈賞式で名前を呼ばれた時、どのような気持ちでしたか。
貝渕:とにかく驚きました。嬉しかったのはもちろんですが、「宣伝会議賞」には20年近く取り組んできたので、やっと終われる…という想いもありました。
森脇:私も最初の応募から24年くらい経ちました。応募を始めた当時はコピーライターとして働いていましたが、今は別の仕事をしながら趣味として続けていたんです。楽しみながら毎年挑戦していたので、貝渕さんと同じようにようやく終わったという安堵と、終わってしまったという寂しい気持ちもあります。
―これまで「宣伝会議賞」にはどのように取り組んできましたか。
貝渕:この20年間で、「宣伝会議賞」を始めとした広告賞に共に取り組む仲間がたくさんできました。だから、なかなかやめられなかったのですが(笑)。ひとつの転機は、10年前にファイナリストまで選ばれた時。本職はデザイナーなのでコピーライティングは腕試しのつもりでしたが、もっと上に行きたいという欲が出てしまったんです。
デザインの場合、アイデアをすべて実現するにはコストがかかることもしばしばあります。言葉ひとつでアイデアの勝負ができる「宣伝会議賞」は、僕にとってはありがたい存在でした。
森脇:大学生のころからコピーライターを目指していました。宣伝会議のコピーライター養成講座にも通って、そこで金のエンピツをもらって「宣伝会議賞」で名を上げる…そんなストーリーを思い描いていました。当時は超就職氷河期という環境でしたが、無事コピーライターとして広告会社に就職。ただ様々な事情で数年後に退職し、そこから今までは、コピーライティングとは離れた仕事をしています。
違う仕事に就いてはいますが、「ことば」のおもしろさにとりつかれていたというか…その後は趣味として、「宣伝会議賞」を始めとするコピーの公募や俳句、川柳などを長年続けています。
貝渕さんはおそらく同世代だと思うのですが、仕事としてクリエイティブに携わり続けてこられたモチベーションはどこにありましたか?心は折れなかったんでしょうか。
貝渕:もちろん折れますよ!(笑)「宣伝会議賞」に関しては応募から10年でようやくファイナリストになれて、嬉しいけれど上位には選ばれなくて。ただ、カッコ悪くは終われないという想いはありました。
森脇:確かに長年続けているとそうなってきますよね。
貝渕:関西人としては辞める時はおもしろく辞めたいけれど、ここまでくると、もうキレイに終わるしかないという心境でした。
