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広報パーソンのキャリアと働き方

スタート地点でクライシスを経験 嫌いだった広報がいつしか天職に

  • ダイドードリンコ 正本肇さん

西日本旅客鉄道から日本電産を経て、ダイドードリンコに転職した正本肇さん。2005年に発生したJR福知山線脱線事故での広報対応を原点に、広報部の立ち上げを手がけてきた正本さんのモチベーションとは。

ダイドードリンコ
コーポレートコミュニケーション部
広報・CSRグループ マネージャー
正本 肇(まさもと・まこと)さん

福井県出身。龍谷大学法学部卒業。1998年に西日本旅客鉄道に入社、福知山支社に配属。2005年に広報部に異動し福知山線脱線事故の広報対応にあたる。2009年には企業再生推進本部の社内組織風土改革チームとしても活動。2012年に日本電産に転職し、2013年にはダイドードリンコに入社。広報部(現コーポレートコミュニケーション部)の立ち上げを行った。

「何のために仕事してんねん!」「人殺し!」。2005年4月に西日本旅客鉄道が起こした福知山線脱線事故の後、被害者の家族にかけられた言葉が忘れられない。この年の8月から広報担当に就任した正本肇さんは、基本的な仕事を上司や先輩に教わる暇もなく、いきなり第一線でクライシス対応にあたった。

106人の死者、562人の負傷者を出した大規模な事故。3カ月が経過した時点でも本社前にテレビ局の中継車が並び、毎日会見を行う状況だった。「広報部の隣には“青灯クラブ”という企業内記者クラブがあり、平時では考えられない数の記者が常駐していました。休日や朝晩という概念すらなくなるくらい、必死で記者たちの問い合わせに答えていました」。

コミュニケーション力が武器に

クライシス対応に追われる日々は約2年続いた。会社の窓口として最前線に立ち続けていたせいか心身ともに疲弊してしまい、しだいに広報という仕事が「嫌で仕方がない」と思うようになった。しかしその想いとは裏腹に、いつのまにか広報担当者としての「武器」が備わっていたのだった。

「天職ですよね」。広報担当になって3、4年経ったころ、とある記者に言われてそのことに気がついた。「武器」とは記者との信頼関係を構築するスキルのことだった。

記者を敵と思うのではなく一人の人間として向き合うことで、記者から信用されるようになった。「ややこしい案件の問い合わせがすべて自分の元に来るようになり、頼ってもらえることにやりがいを感じるようになりました。本当に答えられない質問に対して『これは本当に分からないことなのです』と言うと、“あなたが言うなら”と信用してもらえるような関係性もつくることができました」。このころには広報の仕事が好きになっていたという …

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「仕事熱心な人が多い」。これこそが広報パーソンの共通項であり、『広報会議』を読んでいるあなたもきっと、この仕事に並々ならぬ情熱を傾けていることでしょう。加えて「働き方改革」が注目される今、読者調査の結果と現場の声から広報のキャリア形成や働き方について考えていきます。