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受け取るものは「わたし」にかかっている

公開日:2020年5月25日

  • 宇野 全智(禅僧/曹洞宗総合研究センター研究員)

(写真=123RF)

例年であれば、ゴールデンウィークシーズン。行楽や街にくり出す人が多い時季です。しかしいま、これまでほとんど見過ごしていた当たり前の風景の変容に、気持ちが塞ぐ人もいるかもしれません。

私はこの季節になると、こんな和歌を思い出します。「峰の色 渓(たに)の響も 皆ながら 吾が釈迦牟尼の 声と姿と」──四季折々に変化していく山の風景も、辺りに響きわたる谷川のせせらぎも、皆すべてがお釈迦さまのお声のように、またお姿のように尊く感じられる──詠み人は鎌倉時代、曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師(1200〜1252)です。

この和歌と同時に、以前、旅行で訪れた渓谷が記憶に浮かびます。山道を登っては降り、登っては降り、ずいぶん歩いた先にその滝はありました。深い緑に包まれ、人気のない場所でひっそり流れる滝の音に身を委ねると、痺れるような感動におそわれ、しばらく身動きができませんでした。

山が「仏の身体」であり...

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