システムリニューアルに伴いログインIDのパスワードを再設定ください。

システムリニューアルに伴いログインIDのパスワードを再設定ください。

薬を飲むか飲まないかは誰が決めるのか

公開日:2019年10月29日

  • 宇野 全智(禅僧/曹洞宗総合研究センター研究員)

ほとんど無限の組み合わせが可能なスパイス。折々でどう作用するのかを重視して調合される

(写真=123RF)

広告とはいろいろなメッセージがあるもので、「風邪でも休めないあなたへ」という広告の近くに、「休日はどこそこでゆったり」とあったりします。話者や聞き手が異なるのだから当然かもしれません。

では、お釈迦さま本人が言われたことがほぼ確定できる初期の仏典、つまり同じ人物が、弟子たちに語ったことならどうかというと、実はチグハグなことがあります。

ある場面ではリアルな地獄を描写し、悪行を戒めたかと思えば、「死後の世界なんて誰も行ったことがないのだから、あるかないかも分からないよ」と書かれている。

「本当はどっち?」と私は相当混乱したのですが、ある段階で「応病与薬」という考え方を知り、ようやく納得できました。

仏教では、人々を導く教えは薬に喩えられます。師匠は医者、弟子は患者です。そして弟子の状況に応じて、師はたくさんの薬箱からそのとき、その症状に最も適切な薬を選んで弟子に与えるのです。ですから病気(修行が滞る原因)の種類によっては真逆の薬を施すこともありえます …

この記事の続きを読むには定期購読にご登録ください

月額

1,000

円で約

3,000

記事が読み放題!