資生堂をはじめ、杉山登志さんが手がけた名作広告について、ディレクターとして第一線で活躍している東北新社の中島信也さんに聞いた。
ディレクターになって気づいた映像美だけではない演出術
杉山登志さんに関する記憶は、視聴者としてテレビを見ていた中学3年生までさかのぼります。よく覚えているのは、1973年に放映されていた資生堂「シフォネット」のCMです。少年が図書館で勉強していると、大人の女性と目が合ってドキドキする、みたいな内容で。CMの中の少年と同じ年頃の僕もドキドキしました。それが杉山さんの作品を知ったきっかけですね。
映像制作に携わることになってから、『CMにチャンネルをあわせた日 杉山登志の時代』を読みました。子どもの頃に見たモービル石油の「旅立ち」篇が載っていて。男性2人が車旅の途中におそらくガソリン切れして、「の~んびり行こうよ」という曲が流れる中、のどかな風景を手で車を押しながら進んでいく。「あ、あのCMを作った人なんだ」と記憶の中で杉山さんのことを知りました。亡くなられる前に書いたとされるメモで、「リッチでないのにリッチな世界などわかりません…」と残しているのを知って、また「すごいな」と思いました。
自分もCMを作り始めて、1986年の春のキャンペーンで杉山さんが多くの名作を生み出した資生堂の仕事を担当することになりました。それから改めて杉山さんの作品を勉強しました。それまで杉山さんは「ファッショナブル」なCMを作る人で、とにかくセンスがいいと思っていました。でもディレクターとして見ると、どのCMでもきちんと商品を中心に据えていることに気がつきました。当時はあれほどおしゃれな表現をする人がいなかったし、センスもずば抜けていたと思いますが、杉山さんは商品の特徴をつかみ、CMを通じて押し出していたんです …