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ブランドファーストで万人に伝わるCMを

公開日:2018年10月30日

  • 永見浩之(ツクリテ)

いま世の中で話題になっているCMをつくっている人たちはどのように企画を考え、映像をつくりあげているのか。第9回目は、ふてニャンでおなじみのY!mobileなどを手がける永見浩之さんです。

(左)ゲスト・永見浩之(右)聞き手・足立茂樹

32歳で訪れた環境の変化

足立:永見さんは1985年に大阪大学を卒業して博報堂に入社されています。最初はコピーライターとCMプランナー、どちらでキャリアをスタートしたんですか?

永見:入社時にコピーライターとしてやらせてほしいと、お願いしました。さらに、音楽仲間がたくさんいた大阪で働きたいと関西支社への希望を出して、入社後は8年ほど関西で細々と、癖のあるひねくれた広告をつくっていました。

足立:30歳を過ぎてから東京に異動なさったんですね。

永見:東京に来たのは32歳。環境は大きく変わりました。安藤輝彦さんのもとで、すぐに資生堂や日産など大手の広告を担当させてもらいました。関西支社時代は先輩と2人でファミレスに行って企画していたのですが、東京では営業や制作が10数人も集まる会議室で企画打合わせをするので、最初は辛かったです。

当時はオリエンからプレゼンまで1カ月ぐらいの時間がありましたが、僕は関西支社時代からオリエン翌日には企画を出していたんです。東京でもすぐに企画を出していたら、先輩の八幡功一さんに「もっとみんなでしゃべってから企画しようよ」と注意されたりして(笑)。

その環境にだんだん慣れてきた頃に、黒須美彦さんに"君は面白い企画を考えるから"と、プレイステーションのCMで声をかけてもらいました。当時はプレステの勢いがすごくて、企画打合わせを夜中までやって、それから家で明け方まで企画して、月に3、4本のテレビCMを仕上げていました。大変でしたけど、クライアントと「面白いCMをつくる」という部分で握れていたので、実験的な試みができて楽しかったですね。

自分の個性は一振りでいい

足立:東京に来てからCMのつくり方は変わりましたか。

永見:東京に来てからというより、日産のエクストレイル、ティアナ、マーチなどの6~8車種を担当したことで変わったと思います。当時、僕は車に全く興味がなくて「セダン」の意味もわからないほどでした。でも車の魅力がどうしたら伝わるかを考え続けた結果、その車の本質から独自の世界観を提示することが一番の解決法になるとわかってきました …

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