偏差値の高い大学を出て、新卒で大手広告会社に入社し、最初からクリエイティブ部署への配属があり、キャリアを歩むコピーライター。
現在、活躍しているコピーライター/クリエイティブディレクターの中には、いわば「クリエイティブのエリートコース」を歩んできた方がいます。しかし、こういったキャリアを歩める方は、ほんの一握りで、実際にはこれ以外にも、コピーライターへのなり方があります。
例えば、大手広告会社に入らなかった場合は?
例えば、配属が営業部だった場合は?
例えば、広告業界未経験から、コピーライターへの転職を狙う場合は?
実は、このいずれにも成功例があります。
それは、このコピーライターという仕事が、学歴・年齢・性別・前職のキャリアということだけでなく、コピーライティングのスキルや考え方、何よりもその情熱によって、道を切り開くことができるからです。
そこで宣伝会議では、大手広告会社のクリエイティブに属さず、上記のような経験を積んできたコピーライターによる「コピーライター養成講座 叩き上げコース」を開講します。
もちろんコピーの書き方・考え方を学んだり、課題に取り組んだりもしますが、それだけではなく、いかにしてコピーライターになるのか、実績ゼロからの戦い方、中小の制作会社やフリーのコピーライターとしての生き抜き方、仕事の作り方などを教える、新しいタイプのコピーライター養成講座です。
皆様のご参加を心より、お待ちしております。
コピーの考え方だけでなく、大手広告会社に所属せずともコピーライターとして生き抜く術を教えていきます。
赤城 廣治氏
赤城廣告 コピーライター
1966年神奈川県生まれ。89年、不動産広告中心の広告代理店(株)創芸入社、コピーライターとなるも不動産以外の広告もつくりたくなり2年で退社。91年、広告制作プロダクション(株)アドビジョン入社、恩師となる東本三郎氏に出逢い、コピーのコの字から叩き込まれる。97年TCC新人賞受賞(東洋羽毛工業「ぐっすりが、いちばんのくすり」)。03年独立。11年赤城廣告(株)設立。主な仕事に、熊本市 熊本城復興プロジェクト「立つんだ熊本ジョー」「よくこらえたと、加藤清正公も胸をはっている。」、横浜DeNAベイスターズ「ハマスタが、灯っている。ヨコハマが、ひとつになっている。」、京王電鉄 TAKAO PR「ママもね、ママのママとね、夕やけ小やけ、歌ったのよ。」、大塚食品 クリスタルガイザー「あなたが飲んでいるのは、シャスタに流れる時間だ。」、大阪ガス「ガ、スマート!」、豊田通商「現場に立て、明日に役立て。」、ロート製薬「薬に頼りすぎない製薬会社へ」、コスモ石油 My カーリース「一生、新車に乗ろう!」など。
あの日、もがいていた僕へ。
いま、迷っている君たちへ。
たとえそのコピーが世に出なくても。その企画が通らなくても。
あいつのスイングは凄い!フォームはいい!次もチャンスをやろう!
そういうふうに、僕らのことをしっかり見ていて、
いい所を見逃さないでいてくれる人が、きっといるから。
つらいことも、くやしいこともあるけど、
この道に、ひとつもムダなことなんてないから。いまこの僕は、
広告界のスターたちに負けないくらい楽しい日々を過ごしているから。
だいじょうぶ。まず、この教室で、この僕が、
君たちのいい所を見逃さない人に、きっとなるから。
コピーの生み出し方と、コピーライターとしての生き方と、
その両方を身につけながら、ここを僕らの最高の通過点にしよう。
コピーライターという仕事で笑おう。お腹の底からバカ笑いしよう。
原 晋氏
シカク コピーライター
1974年生まれ。99年東急エージェンシーに入社し、営業局へ配属。流通担当の営業として3年半を過ごす。自身で営業して書いたピアノ教室のコピーでTCC新人賞を受賞。クリエイティブ局へ転局する。コピーライター、CMプランナーとして4年半、多くのグラフィック広告、TVCMにたずさわり、07年に退社。パイロンを経てフリーランスに。08年クリエイティブユニット・シカク結成。コピーライターという職域を越えて幅広く広告活動全般に関わる。主な仕事にフジテレビ「LIFE !S LIVE」キャンペーン、JR東日本「のもの」、UACJ「ある日、アルミは」、アトレ川崎「晴れに行こう。」、毎日新聞、ロッテ「cafca」、岡本「SUPER SOX」、マンシングウェア、arenaなど。TCC新人賞など受賞。
「コピーを書く」という能力には3つある、と思います。
1つ目は、オリエンテーションを聞く能力。
2つ目はもちろん、優れたコピーを書く能力と、それを自身で選べる能力。
3つ目は、書いたコピーを通すプレゼンテーション能力。
この講座を作るという話を聞いたとき、求められているのはコピーライターとしての「生き方」を教えてほしいということだと思いました。
コピーを書くことはできても、この能力のどれかが欠けていたら、コピーライターとして生き抜くことはできません。
なぜ今、コピーライターが必要で、クライアントはどんなことを解決してほしいと思っているのか。を最初に明らかにすることができれば、自分がこれから書くコピーの方向性を見いだすことができます。
なぜクライアントの問題を解決するために、このコピーが必要なのか。を考えられれば、自分で自分のコピーを選ぶ能力が身に付きます。
なぜ世の中にとって、このコピーでなくてはならないのか。を整理できれば、クライアントに、書いたコピーが正しい理由をプレゼンテーションできます。
私たちは、今を生き続けるコピーライターとして、コピーライターに必要な、書くだけではない能力を含めた「コピーを書く」ことを伝えたいと思います。
安田 健一氏
桜 クリエイティブディレクター・コピーライター
1976年東京生まれ。広告会社営業、コンサルティング会社を経て株式会社桜を設立。グリコ「カラダを愛するアイス。SUNAO」、電通パブリックリレーションズ「ひとに広く、ひとりに深く、ひとをつなげるPR」、WWF JAPAN「いいなあ人間は。高齢化が悩みなんて。」、セゾン・アメリカン・エクスプレス・カード「あなたと一生プレミアム」、NATURAL LAWSONブランディング、日本の再生美「懐かしさは、壊れない。」、おむすび権米衛「手のひらが、厨房。」等。主な受賞歴:TCC新人賞、NYADC賞、Cannes lions、ONE SHOW、グッドデザイン賞、毎日広告デザイン賞、他。
コピーライターにどうしてもなりたかった広告営業時代。
TCC 新人賞がどうしても欲しかったコンサルタント時代。
コピーを書くために仕事を獲りにいき、賞を獲る仕事に仕上げるために、
デザイナーさんをリクルーティングするために
アートディレクター講座にも通った。
すべて、本気の下心でした。
「クリエイティブで、コピーで飯を食っています」と
胸を張りたかったので。
講座生の頃の自分ルールは「一週間以内に、学んだことを自分の仕事に使うこと。」。
講義内容と同じ種類の仕事なんてあるわけないけれど、
つべこべ言わずにヤルしかないのです。叩き上げ組は。
チャンスは誰にでも来るけれど、
その時に打ち返せる筋力をつけておかないとね。
過去に「制作」という名が付く部署で働いたことのない僕が、
今の仕事に就けているのは、これまでの吸収・実行・失敗・リベンジの
繰り返しとしか言いようがないので。それらをまるごと伝えます。