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無休生活は勧めない

橋本忍氏の書いた『複眼の映像 ―私と黒澤明』は実に興味深い本である。黒澤明が複数のライターたちと共同作業で脚本を書いてたという話は以前から知っていたが、その実態がいかなるものであったかを詳しく書いた本である。まずは橋本忍がシナリオを書き、それを黒澤明がリライトする、それを最長老の小国英雄が読み、意見を言う。三人は旅館に籠ってこのシステムで何本も傑作を書いた。しかし書きもせず意見ばかり言う小国に対し、やがて二人は不満を持つようになり、彼にも執筆を強要する。傑作を作るこの精密機械は次第にバランスを失い、やがて崩壊して行く。当事者だからこそ書ける迫真のルポルタージュである。

さて、この本の中にちょっと面白いエピソードがあった。かつて世阿弥が船に乗って川を渡っていると、反対側から船がやって来て、船頭同士が声を掛け合う。「やあ、どうだい?」「いやあ、今日は疲れてダメだ。昨日休んでしまったから」この会話を聞いた世阿弥は膝を打つ。なるほど休むと疲れて駄目なんだ。以来世阿弥は一日も休まなくなったという。橋本忍いわく黒澤明はこの話をいたく気に入っていたという。

これを読んで、僕もまた膝を叩いた。実は僕も長らく休みを取らずに仕事ばかりしてきた。なぜならそれが一番楽だからである。働いている方が楽。下手に休むと余計疲れる。ましてや別なことをやらされたらもっと疲れる。車で遠出して渋滞に巻き込まれてディズニーランドに行って帰ってくるなんて想像しただけで疲れる。しかもそれが休暇という日にやることだと考えると死にそうに疲れる。だから僕は基本休まない。毎日仕事をしている。

とはいえ夜は飲みにも行くし、寝るし、朝はゆっくり起きたりするし、散歩しながら本を読んだり、そういうペースで生きている。祝日なんか気にしない。会社に電話しても誰も出なくてカレンダーを見たら祝日だったということも度々ある。正月に仕事を休むと急にガタが来て熱が出たり風邪を引いたりしてある年とうとう入院するに至り正月に休むことを止め、健康を選んだ。いまや正月は自分の一番好きな仕事を選んでする最も楽しい時間である。

とはいえこんな無休生活をすべての人に勧めるわけにはいかない。僕の場合仕事と趣味がほぼ一致しているわけで、やってて楽しい。ドーパミンやアドレナリンが出まくる。かたや締め切りがあったりもするしストレスも相当なものだが、最近ではヒートショックプロテインというストレスに対して免疫力を上げるタンパク質の存在が解明されつつあり、ストレスがむしろ健康にいい、という説まで出てきた。大事なのは自分の身体との対話だろう。

最近とある経済誌でブラック企業の特集が組まれていた。さんざんブラックの実態を追撃しながらその後記に「ブラック企業でいいのではないか?」という結論が書かれていて吹き出したが、確かに労働基準法だけで人と仕事と健康の関係は説明がつかない。働き過ぎをワーカホリックとか病気のように言うが、それを楽だと思う人のことはどうかそっとしといて欲しいものである。

岩井 俊二

profile

いわい・しゅんじ
1995年『LoveLetter』で映画監督のキャリアをスタート。代表作に『スワロウテイル』『四月物語』『リリイ・シュシュのすべて』『花とアリス』『市川崑物語』など。2012年書き下ろし小説『番犬は庭を守る』(幻冬舎)を上梓し、最新監督作品『ヴァンパイア』とプロデュース作品『新しい靴を買わなくちゃ』を公開。

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