ヘパリーゼ Facebook

時には小さな優しさの方が

トラべルミステリーを書いているので、取材で旅行することが多い。思い出も多い。金沢から能登をめぐる取材旅行の時は、東海道新幹線に乗って、米原に向かう途中で、北陸地震にぶつかってしまった。新幹線の車内というのは、肝心のニュースが伝わって来ないもので、車内の電光ニュースが「北陸地方に地震発生」と伝えるだけで、詳細が全くわからない。車掌に聞いても、くわしいことはわからないというばかりである。その時、同行した編集者がケイタイを会社にかけて、今、テレビで北陸地方が大地震に見まわれて、鉄道が止まり、負傷者が出ていることを放送していることを知った。結局、この時は、金沢まで行けたが、能登には入れなかった。

青森近くの駅の待合室で、尿道結石に襲われたこともある。七転八倒の苦しみなのに、初めて行ったところなのでどうしたらいいかわからずにいたら、待合室にいた人が一一九番してくれて、助かったこともある。

私がまだ三十代で売れない作家の頃である。山陰に取材に行き、一両編成の鈍行に乗った。四人掛けのボックス席で、腰を下ろすと、前に、お婆さんが座っていた。地元の人と、すぐわかった。きちんと座り、膝の上にハンカチを広げ、その上でみかんをむいている。駅の売店で売っている袋に入ったみかんである。私と眼が合うと、ニッコリして、話しかけてきた。「どこまでいらっしゃるの」とか、「東京から?大変ですねえ」といった普通の会話である。その間も、みかんの皮をむいていて「はい」といって、分けてくれた。四つか五つ先の駅で、お婆さんは降りて行った。その時、残ったみかんを「はい」といって、私の手に持たせ、「お元気でね」といった。

それだけの話である。それなのに、何か思い出をと聞かれると、大地震にぶつかったことより、命拾いしたことより、みかんをくれたお婆さんのことを思い出すのである。すでにみかんをもらってから、四十年以上もたっているのにである。

先日、テレビを見ていたら、ある作詞家が思い出を語っていた。その人も、売れなかった頃、北海道で列車に乗っていた時、たまたま一緒になったお婆さんから、みかんをもらい「気をつけて」と、声をかけられたことが、今も忘れられないというのである。いくつかのヒット曲を作詞している人だから、ヒット曲が出た時の方が、はるかに大きな思い出だった筈である。それなのに、ヒットした曲のことは話さず、みかんをくれたお婆さんの思い出だけを話していた。

私は、時々、考えてしまう。人間というのは、大きな親切とか、大きな出来事よりも、何気ない小さな優しさに勇気づけられ、感動するものなのだと。多分、私にみかんをくれたお婆さんも、作詞家にみかんをくれたお婆さんも、こちらのことなど、もう忘れているだろうし、いつも、知らない人を見ると、みかんをあげ、「お元気で」と声をかけているのだろう。そんなことを考えると、また、お婆さんのことを思い出してしまうのである。

profile

にしむら・きょうたろう
1930年生まれ。トラべルミステリーの第一人者。東京都立産業技術高等専門学校卒業後、臨時人事委員会(後の人事院)に就職。その後、私立探偵、警備員などを経て作家生活へ。著作は400冊を超え、累計発行部数は2億部を超える。
列車や観光地を舞台とする作品を数多く発表。

presented by ヘパリーゼ