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おもろづかれ

中学生の頃、部活動とかそんなことをして、ああ、疲れた、と口走ったのを父親に聞き咎められ、「子供が、疲れた、などと言うな。この愚か者めがっ」と叱正されたことがある。

そのときは、「このクソ親爺はなにを言いやがる。子供だって疲れる。大体において言論の自由は憲法で保障されているはずだ」と、反抗心を募らせたが、その父親の歳を越えたいまは、父親のそのときの気持ちがよくわかる。

そんな父親の教えを受けながら私は、二十歳を過ぎる頃には親不孝きわまって人の嫌がるパンクロッカーに成り果てた。と言うと、なんでそんな下らぬものに、と呆れる人も多いだろうが、一寸の虫にも五分の魂、落ちぶれたのではない。なりたくてなったのだ、と自分では思っていた。

なんでそんなものになりたかったのか。やたらと鋲の付いた腕輪をして電車に乗って人に避けられたかったのか。革の長靴を履いて居酒屋に行き、靴を脱ぐのに手間取って後から来た人にスンマセンスンマセン、と謝りたかったからか。へこたれたモヒカン頭で向こうから来た女の子に笑われたかったからか。違う。私はそんな馬鹿なことをやりたかったのではない。

じゃあなにをやりたかったのか。あの頃ははっきりしたことを言えなかったが、いまならば言える。私はこの世に、この世ならぬもの、を現出したかったのだ。自分や他の人の頭のなかに多分あって、この世にないものを、この世に見たかったのだ。

そんな訳のわからないことが果たしてできるのだろうか。できるはずだった。というか、その頃、そういうことやっているように思われる人がたくさんいた。

例えば音楽がそうだった。音楽を創る同年代か少しうえの人のなかには随分と才能のある奴がいて、これまでこの世で聴いたことがないような音楽を創り出していた。

或いは映画もそうだった。仲間内には自主映画を撮っている奴がいて、確かにこの世に似ているけれども、この世とは少し違った風景をフィルムに焼き付けていた。

それ以外にも、いろんなことをして、この世にあの世を持ち込み、この世とあの世をミックスして楽しく遊んでいる奴らが大勢おり、私はそうした有り様を見て、激しく憧れ、「オレもああいう風な仕事をして一生を暮らしたいものだ」と思った。

しかし、なんの芸があるわけでもない。そこでどんな芸無しでも勢いだけでなれるパンクロッカーになった。で、どうだったか。なるのは簡単だったがなってからが大変だった。さしたる芸も才能もないまま、この世にあの世をあらしむる荒技はひどく疲れる仕事だったのである。

以来ずっと疲れている。でも、その疲れることをいまも続けてるのは、後から後から新しいあの世をこの世にもたらす人が現れるからである。そのあの世がこのあの世を連れてくる。おもしろい。だから疲れる。けれどもおもしろくて疲れるのは楽しいなあ。同じ疲れるならつまらないことで疲れるよりずっといいなあ。と思う。そこで申し上げる。おつかれさま。ありがとう。たのしいね。たのしいよ。おもろいなあ。おもろいわ。

町田康氏

profile

まちだ・こう
1962年大阪府生まれ。作家、歌手、詩人。96年発表『くっすん大黒』でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、2000年『きれぎれ』で芥川賞、01年『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、02年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、05年『告白』で谷崎潤一郎賞受賞。

コメント

「お疲れ様」というテーマをうけ、エッセイにこめた想い

世の中におもしろいものが次々とあらわれるのに半ば驚き半ば呆れながらそれらを現出せしむる苦労に思いが及んだためです。

このエッセイを読まれた方へ

今日もまだ生きている。今日もまた生きていく。

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