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お、おう

「おつかれさま」か。何となく苦手なテーマだな、と思う。高校の文化祭の準備のとき、一丸となって盛り上がるクラスの中にうまく溶け込めなかった記憶が甦る。

夜遅くまでそれぞれの持ち場でがんばった同級生たちが「お先に」と帰ってゆく。その一人一人に向かって、リーダー的な男子が投げかける「おつかれさま」が眩しかった。

でも、私には「持ち場」がなかった。何をしたらいいのかわからなかったのだ。自分も何かやっているような顔をして、みんなの間をうろついていただけ。「おつかれさま」を云われたとき、心がすーすーした。

などと、うじうじ考えていたら、年下の友人からおそろしい話をきいてしまった。

友「『おつかれさま』禁止の会社があるらしいですよ」
ほ「え、じゃあ、『お先に失礼します』にはどう応えるの?」
友「『おたのしみさま』ですって」
ほ「……それって」
友「『楽しいはずの仕事場で疲れを口にするな。常にポジティブであれ』ってことみたい」

ショックを受けた。知らないうちに、世界はどんどんこわさを増している。私はびびって、急に「おつかれさま」が好きになった。がんばれ「おつかれさま」。「おたのしみさま」に置き換わらないでくれ。

「おつかれさま」のエピソードではもう一つ、別の友人からきいた話も印象的だった。

彼女の関わるプロジェクトに思いがけないトラブルが起こって、危機的な修羅場を迎えたときのこと。何日も徹夜が続いて、メンバー全員がくたくたになっていた。そんな或る真夜中、リーダーの課長が部下たちに向かって「今日はもう帰れ」と云ったらしい。躊躇いながら、彼女も帰宅した。

翌日、気になって早めに出社した彼女は、トラブルの最大要因が解決されていることを知った。課長がやったのだ。その後、階段の踊り場でばったり当人に出会った。明らかに徹夜明けの顔で、彼は「お、おう」と云った。彼女はその場に固まっていた。心の中が「おつかれさま」という思いで一杯になりすぎたのだ。無言のまま、うるうるした目でみつめる。そんな彼女に向かって課長は困ったようにもう一度「お、おう」と云った。

という話をきいて、課長、かっこいいな、と思った。そのタイミングで「お、おう」しか云えないところが、なんとも魅力的だ。

でも、と思う。それも最終的にプロジェクトの全てを引き受ける責任感と現にトラブルを処理できる能力があってこその話だ。無闇に憧れても仕方がない。

トラブルにぶつかると真っ先に尻尾を巻き、問題を解決する能力がなく、しかも「お、おう」しか云えない、というのではただの阿呆ではないか。そして、どう考えても私はそっちに近い。

まあ、でも、万一ということがある。うるうるした「おつかれさま」の瞳に見つめられたときのために、一応練習はしておこう。お、おう。

穂村 弘

profile

ほむら・ひろし
1962年北海道生まれ。歌人。90年に歌集『シンジケート』でデビュー。短歌のみならず、評論、エッセイ、絵本翻訳など広い分野で活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、『楽しい一日』で第44回短歌研究賞、『あかにんじゃ』で第4回ようちえん絵本大賞を受賞。近刊にエッセイ集『蚊がいる』がある。

コメント

「お疲れ様」というテーマをうけ、エッセイにこめた想い

複数の人間が一つの目的を共有するときにはじめて交わされる言葉かと。

このエッセイを読まれた方へ

寝不足の日、僕は移動途中の駅の椅子でよく眠っています。

明日に向かうために欠かせないこと

睡眠。
あまり眠らなくても動ける人が羨ましいです。

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