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お、おう

会社員をしていた頃、残業を終えてビルを出るときに、警備員さんから、

「おつかれさま」

と声をかけられると、ものすごく嬉しかった。警備員さんは曜日ごとに違う方がいらして、とても感じの良い方と、そうでもない方がいる。 そうでもない方のときは、こちらから、

「おつかれさまでーす」

と、異様なにこやかさで挨拶する。すると、やはり気分が良くなった。私は普段、仏頂面で無口で、同僚にはこんなに明るく接しないので、このテンションはなんなのだろう、と自分でも不気味だった。

この話を会社員経験のある友人たちに話すと、「私も警備員さんと喋っていた」「オレも挨拶好きだった」と返ってきたので、かなり多くの会社員が警備員さんとの挨拶で救われてきたのだと思われる。同僚と言い合ってもいいものを、警備員さんとしたい、と考えた理由は、仕事の内容までは知られていないという距離感、ビルを出て開放感を味わうタイミング、などからだろうか。

言葉を交わすのは、理解や共感を得るためだけではない。上司のように仕事のことを相談できる人や、家族のように真剣に心配してくる人とばかり話していると煮詰まってしまう。お互いに自立していて、相手に踏み込まない関係の中で交わされる言葉が、大きな力になることがある。

三年ほど前、ネパールへ行って、エベレストの裾野を登山した。標高四千九百メートルの辺りを目指して、黙々と登っていく。生物のいない世界が近づいてきて、高山病の気配が漂い、頭痛が始まり、足も重くなる。

つかれたなあ、と思って足下に視線を落とすと、小さな白い花が点々と咲いているのに気がついた。すでに標高三千五百メートルまで来ていて、虫がいなくなり、木や草も減っていた。この花が、茎を高く伸ばさずに地面ぎりぎりのところで咲いているのは、できるだけ低いところで生きようとしてのことだろうか。

「こういう花みたいな人になりたいなあ」

と呟いたら、「いいこと言うね」と同行者から、えらく賛同が得られた。良い科白っぽいことを吐いてしまったと今となっては恥ずかしいのだが、そのときは標高と共にテンションが上がっていたのだろうか、本当にそう思った。花は、たまたまそこが調度良い場所だったから、咲いただけだ。べつに頑張って芽吹いたわけではなくて、ぎりぎり生命活動が行える場所だったから、普通の力で花びらを開いた。だが、それを目で受け止める旅行者は、勝手に感じ入って、そこからパワーをもらい、新たな一歩を踏み出す。私もそんな風に仕事をしたい。こっちは特に誰かを応援したいと思っているわけではなく、ただ咲いているだけなのに、誰かが勝手に元気を出す。読者が自由に読み取ってくれると信じて、私はひたすら、単純に書く。そんな風に小説を作っていきたい。

声高にエールを送ったり、強い共感があったりはしない、花の咲き方。そういえば、警備員さんの「おつかれさま」は、あの小さな花の咲き方に似ていた。

山崎 ナオコーラ

profile

やまざき・なおこーら
1978年福岡県生まれ。
会社員をしながら書いた『人のセックスを笑うな』が第41回文藝賞を受賞し、2004年にデビュー。
Webちくまにてエッセイ「太陽がもったいない」連載中。

コメント

「お疲れ様」というテーマをうけ、エッセイにこめた想い

改めて考えると、「お疲れ様」って変な言葉ですね。
疲れに敬称をつけて、相手に伝えるなんて。
でも、「ご自愛ください」だとか、「心配だわ」だとか、「頑張れ」だとかといった挨拶より、
軽くて、扱い易い、あめ玉みたいな言葉です。
あめ玉をそうっと渡すように、距離感保って挨拶したいな、と思いました。

このエッセイを読まれた方へ

文章は、米や水のように役に立つことはないですが、
目で追うと、視界がちょっと変わることがあります。
私も、そんな文章が書けたらいいな、と思って、仕事をしています。
読んでくださってありがとうございます。

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