今夜も窓に灯りがついている。

「窓の灯り」をテーマとして人気作家の方々にリレー形式でエッセイを執筆いただく連載企画

Vol.92 車内にて

坂下雄一郎

お仕事なにされてるんですか。と聞かれるとうまく答えることができない。

え、まあ映像系っていうかそういう関係の感じでなんか映画とかやってるっていうかまあそんな感じですかね。ごにょごにょごにょと歯切れの悪い答え方をすると、聞いた相手は明らかに解せない表情になる。私は下手な愛想笑いをして次の話題へいこうとする。

理想を言えばもちろん胸を張って、実は映画監督なんですと言いたい。しかし心の中の嫌な性格のもう一人の自分がお前みたいな人間が本当にそう言っていいわけ?と邪魔をしてくる。なぜなら、そもそも映画をそんなに撮っていないからだ。前に映画を撮影していたのは2年前だし、2022年は映画どころか他のジャンルも含めて撮影すらしていない。次に映画を撮影するとしても最低でも1年はかかるだろう。となると公開するのは2年後だ。収入の割合の多くは映画以外の仕事からになる(お前はいったい何をして暮らしているのだと思うかもしれないが秘密である)。そんな人間がはたして私は映画監督ですと名乗っていいのかという気がしてならない。いや言っていいんですけど。それくらいのペースで撮っている人はいっぱいいますし。だが自分は弱気になってなかなか言えない。

そんな自分にとって窓の灯りは後悔の象徴だ。

数年前、とある低予算の映画を撮影していた。その撮影では現場が終わって東京へ戻る夜の車内でその日を振り返り自分の未熟さに落ち込む、ということをしながら毎日帰っていた。短い撮影日数でなんとか撮り切った最終日、ほっとしながら車で千葉方面から高速道路で東京へ戻っているときに、少しずつ近づいてくる東京の夜景を見ながら、ふと映画を撮るのはこれで最後になる可能性があるんだなと思った。考えてみれば当たり前のことで、仕事で関わる以上オファーがなければ監督することはできない。つまりいつでもこの職業は結果的に最新の仕事が最後の作品になる可能性があるのだ。それに気づいて怖くなった。ちょっと待って今回そのつもりで撮ってなかったよと。私はそのことについてちゃんと考えてなかったのだ。

それで慌てて考えたことは、撮影の仕事をしていく以上いつでも最後の映画になる可能性がある。それは消えない。なのでこれからはそれを意識しながら、毎回最後のつもりで関わるようにしようという今考えると当たり前でわりと浅い考えだった。映画撮影は妥協の連続なので、妥協する際の言い訳で今回はしょうがない、次の作品で頑張ろうと思いがちなのだが、もしこれが最後の作品だったとしたら、妥協しそうになる場面での関わり方が変わってくるだろう。いつもより粘りの姿勢で取り組めるかもしれない。次の作品を撮影することがあればそんな態度で臨むことにしようと決意した。決意したもののそれから私は不安な日々を送ることになる。次の撮影がなければ自らが編み出した「最後かもしれない理論」すら使えずに終わってしまうからだ。違う恐怖の始まりだった。

結果的に次の映画の撮影はできた。完璧な精神状態で臨んだ撮影は充実した内容で撮り終えることができた。かというとそんなことはなかった。毎日後悔の連続で、帰りの車内で東京の夜景を見ながらなぜあそこで自分はああしなかったのだと反省する日々だった。結局変わらなかったし、きっとこれからも変わらないのだろうと思う。

Vol.92 坂下雄一郎

PROFILE

坂下雄一郎

1986年広島県出身。
東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『神奈川芸術大学映像学科研究室』(13)がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2013長編部門審査員特別賞を受賞。2017年1月『東京ウィンドオーケストラ』で商業映画デビュー。他『エキストランド』(17年11月公開)、『ピンカートンに会いにいく』(18年1月〃)、『決戦は日曜日』(22年1月〃)

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い
「窓の灯り」で最初に思い出したことを書きました。
このエッセイを読まれた方へ
映画業界の端の方ではこんなことを考えている人間がいます。
ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?
翌日やるつもりだった仕事を始めます。