今夜も窓に灯りがついている。

「窓の灯り」をテーマとして人気作家の方々にリレー形式でエッセイを執筆いただく連載企画

Vol.85 猛烈に悲しかったけど、嬉しかったこと。

原田マハ

22年前。

JR芦屋駅すぐのマンションの一室に、自営業の父の事務所があった。社員はいない。父だけの仕事場。

その部屋は、神戸線の線路をまたぐ歩道橋から見上げることができた。

カーテンをしていなかったため、暗くなると、事務所内のオレンジ色の灯りがよく目立った。

ラグビー部だった高校1年の僕は、部活帰りに、たびたび父の事務所に寄った。

目的は車。

本来の帰り方は、駅から1時間に2本しかないバス。タイミングが悪いと30分近く待たなければならない。

それが億劫だった僕は、歩道橋から事務所を見上げ、オレンジ色の灯りを確認。

真っ暗なときは、父がいないということなので、バス停に戻り、おとなしくバスを待った。

灯りが見えると、事務所に突撃。「一緒に帰ろう」とねだるのだ。

日によっては、仕事が終わるのを1時間以上待つこともあった。でも問題はない。なぜならば、コンビニへの寄り道があるから。

そこで僕はいつもアイスを買ってもらい、父が運転する車の中で食べた。嬉しかった。

「好きな子はできたか?できたら言えよ。色々教えたるから」

父の口癖といっても過言ではない。

これほど良好だった親子関係は、すぐに終わりを迎える。

高校1年の秋、父が死んだ。

余談だが、僕の通っていた高校には、親が死ぬと1週間休んでいいという校則があった。

だから1週間きっちりと休んだ。

心の準備は間に合わず、せめて10日に改正すべきだと思った。

数週間後、父の事務所を退去させることとなった。

僕は片付けを手伝った。何度も泣きそうになった。

事務所の窓から外を眺めると、線路をまたぐ歩道橋が見えた。僕がいつもこの部屋の灯りを確認していた場所。もうあの位置からこの部屋を見上げる必要はなくなった。でも僕はこの部屋を見上げることをやめなかった。

その後も帰り道に、バスの時間とタイミングが合わないときは、歩道橋に行き、父の事務所を見上げた。

当然、真っ暗。いつ行っても真っ暗。

それはつまり、父がいないということ。

この意味合いは、父の生前とは、全くもって違った。

猛烈に悲しかった。

それでも僕は事務所を見上げ続けた。悲しみを和らげる一心で。

でも悲しみの度合いは、猛烈のままだった。

そして、2月上旬の部活帰り。

バスの時間とタイミングが合わず、いつものように歩道橋に行くと、懐かしい光景が目に飛び込んできた。

父の事務所の窓からオレンジ色の灯りが見えたのだ。

この状況、真っ先に浮かんだのは、実は父が生きていた、ということ。

こんな希望はほんの2秒で消え、新たな入居者が決まったことを理解した。

直後、高校1年の僕は「父の事務所を奪うな!」と、真剣に思った。

でも徐々に、「一緒に帰ろう」とねだる自分、父が仕事を終えるのを待つ自分、車内でアイスクリームを食べていた自分がよみがえってきて、単純に、嬉しい気持ちに包まれたのです。

この場を借りて、真剣に言わせてください。

アナタの事務所の灯りは、誰かを元気づけているかもしれません。

今日も遅くまでお疲れさまです。

Vol.85 福徳秀介

PROFILE

福徳秀介

1983 年10月5日生まれ、兵庫県出身。2003年にお笑いコンビジャルジャルを結成。
07年「NHK 新人演芸大賞演芸部門」大賞、13年「ABC お笑いグランプリ」優勝、20年「TBSキングオブコント」チャンピオンなど。
作家としては、20年に初の長編小説『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』を発売。
21年には映画『半径1メートルの君へ~上を向いて歩こう~』で脚本家デビュー。
Youtube「ジャルジャルタワー」に毎日ネタを投稿中。
https://www.youtube.com/channel/UChwgNUWPM-ksOP3BbfQHS5Q

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い
「窓の灯り」と聞いて、すぐによみがえった父との思い出をありのままに。
このエッセイを読まれた方へ
我が、我が、な内容ですが、ラストに本心を書かせていただきました。
ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?
目を開けて眠る。
真っ暗な部屋で目を開けていると、いつしか眠れているのです。