今夜も窓に灯りがついている。

「窓の灯り」をテーマとして人気作家の方々にリレー形式でエッセイを執筆いただく連載企画

Vol.79 「暗い街」

桐野夏生

十五年近く前になるが、国境の街と脱北ルートを見るために、中国と北朝鮮の国境沿いを取材旅行したことがある。中国の丹東市を皮切りに、瀋陽市を経て吉林省の延吉に向かう計画だった。同行者は、私の他に二人。いずれも四十代の男性と女性の編集者である。丹東市は、鴨緑江を隔てて北朝鮮の新義州市と国境を接しているし、延吉の隣、図們市は豆満江を隔てて北朝鮮と接している。

時期は三月初め。まだ豆満江は凍っていて、氷上を歩いて渡る脱北者が多い、という話を聞いて、私は凍った豆満江をぜひ見たいと思っていた。また、丹東市には、鴨緑江の幅が十数メートルしかないところがあって、北朝鮮の兵士が、中洲に置いた菓子や酒を取りにくるのを見物する、という観光もあった。川縁に売店があって、菓子や酒を売っている。中洲にそれらを置いて、物陰から見ていると、川の向こう岸から二人組の北朝鮮の兵士が現れて、飛び石沿いに中洲まで渡ってきて、ブツを持って行くのだ。先方もお約束を承知の、何ともおかしな観光ではあった。

しかし、今思えば、脱北ルートの取材など、大胆というか、かなり無謀な計画ではあった。実は、よく無事に帰ってきた、というような怖い目にも遭ったのだが、その話は別の機会にしよう。

私たちは、まず韓国は仁川から、海上ルートで丹東市に入った。船中泊である。船は日本で活躍していた船のお下がりで、「救命胴衣」とか「洗面所」など日本語のプレートがそのまま残っていた。私は子ども時代に、幾度か青函連絡船に乗ったことがあったので、もしや青函連絡船に使われた船ではないかと想像すると、懐かしくてたまらなかったものである。

鴨緑江のほとりにある丹東市には、有名な断橋がある。戦前に日本が架けた立派な鉄橋だが、二次大戦で爆破され、途中で寸断されている。その断橋の横には新しい橋が架かっていて、中国と北朝鮮間を、積み荷を積んだトラックが行き交っているのが見えた。国境の街は、交易の街でもある。

その橋の袂にあるホテルに泊まった。私の部屋は鴨緑江に面していたので、昼間は、新義州市の遊園地の観覧車のようなものや、船を操る人が見えたりして、なかなか面白かった。だが、夜になると、新義州市側は真っ暗で、そこに街があることなど、まったくわからなくなった。私たちは、当たり前のように、窓から光が漏れる明るい街に暮らしているが、川を一本隔てただけで、そうではない暮らしがあることを思い知らされて、衝撃的な光景だった。

先日、丸の内に用事があって出かけたが、林立する立派なオフィスビルの窓に、ほとんど明かりが見えないことに驚いた。以前の三割程度の人しか、会社には来ていないらしい。コロナ禍によるリモートワークのせいなのだろうけれど、これから変わっていくであろう都市の未来を思うとともに、ふと、あの夜の新義州市の暗さを思い出した。街が暗くなった時、私たちは何を大切にして生きていくのだろうか。そんなことを思った。

Vol.79 桐野夏生

PROFILE

桐野夏生

1993(平成5)年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞を受賞する。1997年に発表した『OUT』は社会現象を巻き起こし、同年、日本推理作家協会賞を受賞。1999年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、2004年『残虐記』で柴田錬三郎賞、2005年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞を受賞した。2008年『東京島』で谷崎潤一郎賞、2009年『女神記』で紫式部文学賞、2010〜2011年『ナニカアル』で島清恋愛文学賞・読売文学賞を受賞。また、英訳版『OUT』は、2004年にアメリカで権威のあるエドガー賞に、日本人で初めてノミネートされた。他の著書に『路上のX』『ロンリネス』『日没』などがある。

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い
窓の灯りは、人の営みです。
でも今、暮らし自体が少しずつ変わっていくかもしれない、と思っています。
このエッセイを読まれた方へ
これまでと違う景色を想像してみてください。
ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?
本です。
すごく面白いと眠れなくなるので、読まなければならない本。