Vol.71 前の家の今の灯り

藤原麻里菜

昔住んでいたアパートの近くに用事があったので、ふと、どうなっているか気になって行ってみることにした。ボロボロだったから取り壊されているかもしれない。変な部屋だから、借り手が見つかっていないかもしれない。いろいろなことを考えながら、懐かしい道を歩いていた。

初めて一人暮らしをしたのは、21歳のとき。東京と中野区の家賃6万円のアパートだった。フローリングのキッチンスペースと7畳ほどの和室の部屋。1階に大家さんが住んでいて、2階部分にある3部屋が借家になっている。外観は、まさに絵に描いたようなボロアパートのそれだった。

ボロボロさに加えて、2階部分がせり出した構造になっている。通りに面している和室の約9割がせり出していた。清水寺の舞台を見たときに「うちの家に似てるな」と思った。いや、清水寺はかなりたくさんの柱によって支えられているが、そのアパートは細い鉄パイプ3本によって支えられていた。清水寺よりもすごい建築物なのだ。

おかしな家なのでおかしなことがよく起こった。

夜になると矢沢永吉の曲が窓の隙間から聞こえてきて、その音がだんだんと近づいてくる。そして、その低音に合わせて家が揺れる。

ある日は、あまりに家がリズムよく揺れるので「お祭りかな」と思い窓を開けると、隣接した一軒家から女性の罵声が聞こえた。他人の喧嘩で家が揺れる。あと、隣の部屋からよく西野カナの曲が聞こえてきたのでカラオケで歌えるほど完璧に覚えてしまった。

キッチンの窓を開けると、階下にいる白い猫とよく目があった。じっと見つめていると、階段を上って玄関先にくる。でも私はどうしていいか分からなくて、猫が食べられそうなものも家にないし、ドアを開けてただ見つめ合うことしかできなかった。

そんなことを思い出しながらアパートを見上げると、私の住んでいた部屋にあかりが灯っていた。暗くて見づらいが、物干し竿に音楽フェスのものだろうか、かっこいい書体でいろいろな名前が書かれたTシャツがかかっている。フェスのような明るい人たちが集う場所が苦手な私にとって、それが自分とは異なる人間が生活している証のように思えた。

自分とは違う人間が、自分のよく知る場所で生活していることが、不思議でとてもおかしく、愛おしい。

しばらく窓のあかりを見続ける。どんな人が住んでいるのだろうか。顔も年齢も性別さえわからないが、私は君の住んでいるその部屋のことをよく知っているぜ。西野カナを聞いていた人は元気だろうか。まだ隣家の夫婦喧嘩で家は揺れているのだろうか。矢沢永吉ファンの車(リアガラスにE・YAZAWAのタオルが貼り付けてある)は1階の駐車場に停まっていた。あれだけ煩わしくおもっていた車に対して、うれしさを感じた。

この時間にはいつも階段の下にいるあの猫の姿が見えない。別の寝床を見つけたのだろうか。みんながそれぞれの家で暖かく眠っていたらうれしい。

PROFILE

藤原麻里菜

1993年生まれ。コンテンツクリエイター、文筆家。
頭の中に浮かんだ不必要な物を何とか作り上げる「無駄づくり」を主な活動とし、YouTubeを中心にコンテンツを広げている。
2016年、Google社主催の「YouTubeNextUp」に入賞。
2018年、国外での初個展「無用發明展- 無中生有的沒有用部屋in台北」を開催。25000人以上の来場者を記録した。

Vol.71 藤原麻里菜

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

このアパートだけでなく、今まで住んでいた場所の様子をふと見に行くことがあります。
そんなときの自分の感情です。

このエッセイを読まれた方へ

ぜひ、昔住んでいたアパートに行ってみてください。

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