Vol.37 世界一贅沢なセラピー。

渋谷 直角

激しく落ち込むような失敗をしたとき。大好きな女性に別れを告げられたとき。自分に自信がなくなり未来に不安を抱いたとき。そんなときはいつも、何百本とあるダウンタウンの昔の番組を録画したビデオをひたすら見る、という行為を繰り返していた。学生の頃からの習慣で、何十回と見直しているので大体覚えているからあまり笑ったりはしないけれど、セラピー的な効果があるのだ。二人の声だけでも聞いていると、中学の頃の気分が戻ってくる。当時の部屋の匂いや空気、その頃考えていたことが鮮明によみがえる。自信まんまんで、未来に希望ばかりが待っていた当時の気持ちになって、やる気を少しずつ取り戻し、前向きな姿勢を取り戻すための行為でもあったのだ。

編集仕事や執筆作業は心を病んでしまう人が多いけど、自分はそういうことであまり深刻な状態にならずにこれまでやってこれたのは、ダウンタウンのビデオで知らずにメンタルのケアをしていたからかもしれない。

出版社でアルバイトをするようになり、そこでライターの仕事をやれと声をかけられ、ズルズルとフリーランスになった。一人暮らしも始め、その頃からダウンタウンの番組は追いかけられなくなって、自然と距離が生まれていったが、仕事は充実していたし、落ち込んで引きずるようなことも多くはなかったので、(もうダウンタウンに助けてもらうことはないのかも)と思ったりした。

そこから何年かして、たくさん書いていた雑誌がリニューアル。誌面構成がガラッと変わり、仕事がなくなった。収入が3分の1に激減して、家賃も毎月払えるか払えないか、払ったら生活費がなくなるレベル。新規の依頼もアテがない。初めて人生のピンチを感じた。しかも彼女にフラれたあとだったので、ドン底感もスゴイ。どうにもやりきれなくなって、何年かぶりにダウンタウンのビデオを押し入れから取り出した。朝までベッドで横になり、ひたすらビデオをかけっぱなしにする。

しかしある日、何度も何度も見た番組のハズなのに、少し様子がおかしい、と感じた。

松ちゃんの声が、他からも聞こえてくるのだ。

テレビから聞こえる声と、もうひとつ別の声。でも、どちらも松ちゃんだ。どうも外から聞こえてくる。ベランダに出ると、マンションの向かいにあるバーの前で、松ちゃんと今田耕司、若手の芸人がいた。(ほ、本物だ…!)。こんな偶然があるのか。ビデオを見続け、完全に中学生モードに戻っていたから、凄まじい感動である。

お気に入りの店らしく、それから週に何度も、松ちゃんはそのバーに来た。地声が大きいから来ているとすぐにわかる。その度に僕は、部屋の灯りを消して、ベランダに出た。松ちゃんのほうから、こちらの窓の灯が見えないようにして、憧れのカリスマの声を隠れて聞いていたのだ。やがて、家の中にいても声が聞こえるから、ビデオは見ずに松ちゃんの生声を聞きながら横になった。自分にとって、これは世界一贅沢なセラピーだと思った。

今はそのバーは潰れて、もうない。僕も別の街に住みはじめた。仕事もまた、少しずつ増えていった。「窓の灯」というと、松ちゃんの声を聞くために、灯を消していた当時の自分を思い出すのだ。

PROFILE

渋谷 直角 しぶや ちょっかく

ライター、まんが家、コラムニスト。1975年生まれ、練馬区出身。
1998年にマガジンハウス『relax』でライター仕事を始める。
同誌で『リラックスボーイ』というマンガも描くようになり、以降、いろいろな雑誌やWebでコラムやマンガなどを描く。
著書に『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』(扶桑社)、『RELAX BOY(完全版)』(小学館クリエイティブ)、『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』(扶桑社)、『直角主義』(新書館)、『コロコロ爆伝!! 1997-2009』(飛鳥新社)、『RELAX BOY』(マガジンハウス)など。

渋谷 直角 しぶや ちょっかく

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

窓の灯りを外から見るのではなく、点けたり消したりの内側の立場で書くという、少しヒネった話にしてみました。あ、いちおう実話です。

このエッセイを読まれた方へ

意外とちょっとしたことでリラックスというか、ストレス軽減はできるのかもしれませんよ?

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

30代以降は、ダウンタウンのビデオではなく、くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンに変わりました。これもまたセラピー効果があって。