Vol.29 車窓から見える家

青木 淳吾

生まれも育ちも西武線沿線(埼玉県内)、学生時代の独り暮らし先も同沿線(下井草駅)、現住所も池袋周辺というわけで、三十年来この私鉄路線の車窓風景に親しんできた。実家に向かう際など今でもよく利用するし、便利といえば便利だが、乗車中はほとんど窓の外に目を向けていない。思い出そうとしても「としまえんのバイキング」「光が丘の高層団地」「秋津―所沢間にあるこんもりした丘」「実家駅近くの畑作地帯」と、意識的に見ているものは少ない。三十代も後半になって、どこかしら郷土愛めいた感情があることにも気づいてはいるのだが……。

ところで文化史方面の名著で、19世紀西欧の鉄道風景を描き出す『鉄道旅行の歴史』(W・シヴェルブシュ)を読むと、英国で初めてSL列車が運行された19世紀初期、乗客が車窓風景に抱いた驚異の念と拒絶の反応とを多く知ることができる。産業革命以前の馬車旅行を懐かしむ目には、平均速度が三倍以上にもなる鉄道利用は「時間と空間の抹殺(当時の表現)」と映ったのであり、また風景から疎外されるように感じたらしい。「速度により、外にある対象が色も輪郭もなく眼前を通り過ぎてしまい、もう見分けがつかなくなってしまった」。鉄道が遠隔地間を長距離運行すると旅中の読み物が必須になったという。同時代の名だたる文人らもこれらの伝統破壊を嘆くのだ。つまり旅情がない!と。

「鉄道が場所として知っているのは、出発地、停車地、そして終着地のみである」と、本書に引用された同時代人の文章が鉄道観としてそう記すように、私にとっての西武線もだいたいそんなところだ。乗車駅と急行停車駅と目的駅と(下り方面の奥深いエリアを旅することはあるけれど)。

たまには鉄道で遠出するのはどうだろう。最近では二年前に青春18きっぷで京都・岡山方面への旅を「緩行」したくらいか、途中で何度となく新幹線に追い抜かれるのを車窓から眺めたことを思い出す(遅いわりに乗り継ぎが忙しない)。また昨年は京都に所用があって人生初の夜行バスに乗り、カーテンを閉め切ったバス旅行の辛さを経験したものだった。本も読めず真っ暗……旅というよりただの移動だ。

震災より少し前だから二〇〇九年の夏のことだったか、やはり「旅情」に突き動かされたのだろう、夫婦で神奈川県への移住を試みた。東海道線で横浜駅を過ぎてさらに南進する。とにかく鎌倉が好きで、憧れるあまり「住んではいけない」とも思い、私の勝手な一存で大船駅の物件に決めた。

横浜から通過駅含め四駅目。鎌倉への入口で、JR三線とモノレールを結ぶこの駅。東京から向かうと進行方向右手の西側、駅ホームに停車する直前に車窓を流れるやや寂れた川沿いの風景は、ずっと以前から通りかかる度に眺める「気になる場所」だった。すぐ奥に低い丘陵が走っていて、駅横手の丘の上では巨大な大船観音が木々の間に頭を覗かせている。

気になるがいつも降りない、車窓からのみ眺めていた大船駅の発展していない側には、それから十ヶ月ほど住むことになったのである(すぐまた東京に戻ったのには一口では言えない波乱含みの事情がある)。車窓からも見える築四十年は経つ木造物件。あともう少しのことで今もそこにたった一人で暮らし、その窓に灯りをともしていたかもしれないと思うと、どこか寂しい気持ちに襲われる。

PROFILE

青木 淳吾 あおき じゅんご

1979年埼玉県出身。
早稲田大学卒。
在学中の2003年、「四十日と四十夜のメルヘン」で第35回新潮新人賞を受賞しデビュー。
2005年、同作を収めた作品集『四十日と四十夜のメルヘン』で第27回野間文芸新人賞受賞。
2012年、『私のいない高校』で第25回三島由紀夫賞受賞。
その他の著書に『いい子は家で』『このあいだ東京でね』がある。

青木 淳吾 あおき じゅんご

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

当初「窓」というテーマだと勘違いし、車窓風景に的を絞って原稿を書き上げようとする直前、大きな誤りに気づいて窓の灯りを探したところ、「大船時代の寂しい家」にポツンと灯りがともりました・・・。

このエッセイを読まれた方へ

エッセイで取り上げた『鉄道旅行の歴史 19世紀における空間と時間の工業化』(ヴォルフガング・シヴェルブシュ著 加藤二郎訳 法政大学出版局)は、「これぞ文化史!」といえるスゴい本です。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

眠ってはいけない締め切り前日または当日の夜、横になって15分から30分間だけ目を閉じること。