Vol.28 窓の灯が眩しすぎる

森見 登美彦

かつて私は永田町の国会図書館というところに勤めていた。

はじめは関西の学研都市にある関西館にいたのだが、就職して四年が経った頃、東京本館へ異動になったのである。東京で暮らすのは初めてのことであった。

その頃、不思議に思ったことが一つある。

仕事を終えて永田町を歩いていくとき、ビルの窓の灯が明るく感じられるのである。いくら私とてジャングルの奥地から出てきたわけではないのだから、ビルぐらいは大阪や京都でも見ている。しかしそのとき見上げた永田町のビルは、関西で見てきたビルよりも燦然と輝いて見えた。これはどういうわけか。関西と東京で使っている蛍光灯が違うとか、電圧が違うとか、そんなことはないだろう。それは私にとって、まったく謎であった。

二年半東京で暮らしたあと、私は退職して故郷の奈良へ戻った。

いま暮らしているのは某駅前の高台だが、ベランダからの眺めがたいへん気に入っている。季節がうつろうにつれて色を変えていく奈良盆地の山々を一望できるし、夜になれば奈良市街のきらめく夜景を見ることができる。部屋の明かりを消して、彼方を通り過ぎていく近鉄電車の明かりを眺めているときなどは、なんだか夢の中にいるような気がする。奈良の町はどこを向いても穏やかな灯しかなくて、あの永田町のビルみたいに燦然と輝いてはいないのである。

劇団ヨーロッパ企画の上田誠さんと話をしていたとき、「東京へ出かけるとテンションが上がって仕事がはかどる」ということを聞いた。街そのもののテンションのようなものが人間に作用するのだろう。たしかにそれは納得できることである。奈良というところはじつにテンションのゆるやかなところで、ここで流れている時間を私は「古事記時間」と名付けた。小説家という仕事のためかもしれないが、ウカウカしていると一年ぐらいすぐに経ってしまう。『古事記』のスケールで考えるなら、目先の一年や二年どうでもいいという気分になってしまうのである。これはじつにまずい。

そこで思うのは、あの永田町のビルの燦然たる窓の灯は、じつは私自身の、テンション高まる一方の心に映った明かりではなかったろうか。当時の私は結婚したばかりで、初めての東京暮らし、国会図書館では新しい部署に移って忙しくなる一方、副業の方でも仕事は限界を突破して増えに増え、無謀な新聞連載まで始めようとしていた。自分で言うのもなんだが、まるで「前途洋々」を絵に描いたような状況だったのである。実際のところは二年半後に破綻して、尻尾を巻いて奈良へ撤退することになるわけだが、当時は「いけるところまでいってやれ」という、私らしくもない熱さがあった。その熱さはほとんどヤケクソ同然であった。そのヤケクソな心に映って、あの窓の灯は明るかったのではないか。

――というようなことは私の妄想で、じつはホントに電圧が違うだけかもしれないが。

ベランダから穏やかな奈良の夜景を眺めているとき、あの短い東京時代の燦然たる窓の灯を懐かしく思うこともある。今の状況から考えると、あの頃の自分の状況も、仕事ぶりも、とても現実のこととは思われない。あれもまた夢であったような気がする。

ともあれ、落ち着いた心に映る、やや暗めの窓の灯も良いものである。

PROFILE

森見 登美彦 もりみ とみひこ

1979年奈良県生まれ。

腐れ大学生の生活と意見を書いた『太陽の塔』によって、
2003年第十五回日本ファンタジーノベル大賞を受賞(新潮社から刊行)。
2007年、『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店)で第二十回山本周五郎賞を受賞。
2010年、『ペンギン・ハイウェイ』(角川書店)で第三十一回日本SF大賞を受賞。

森見 登美彦 もりみ とみひこ

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

東京にいた頃にビルの明かりが眩しかったことを思い出して、「東京時代は無茶苦茶だったなあ」「今はグウタラしてるなあ」と思いながら書きました。

このエッセイを読まれた方へ

窓の灯が眩しすぎると感じたときは、とりあえず休憩しましょう。

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『千一夜物語』『聊斎志異』『古典落語』『シャーロック・ホームズの冒険』です。