Vol.21 御礼申し上げます 姫野カオルコ

あなたの心に残る○○○は?といったアンケート結果をときどき見かける。○○○の部分は映画であったり、デザートであったり、ホテルであったりする。

あなたの心に残る窓の灯りは?このアンケートは見たことがない。そこで、自分で質問して自分で回答しようと思う。

答え。昭和40年から45年の電電公社の窓の灯り。

小学生の私は、この灯りをいつも見ていた。当時NTTはなく、電電公社だった。各地にあったこの公社ビルのうちの一つが、私の家からよく見えたのだ。

広がる田んぼの隙間に家がぽつりぽつりと建っているだけの田舎町では、そのビルより高い建物が他になかった。

四角い、淡い黄土色の外壁の、ごく一般的なオフィス・ビル建築である。

しかし窓枠がサッシで、それはそのころの私が住んでいた旧弊な町の民家には、まだそんなに嵌まっていないものであった。

そんな時代であるから、当然、コンビニも自販機もない。日没の早い季節ともなると、四時半や五時であたりは薄暗くなる。

学童クラブも学習塾も当時の田舎町には一つもない。放課後は稲を刈り取った田んぼでボール投げやかけっこをして遊ぶのだが、冬場はすぐにボールがよく見えなくなり、みな早く家に帰る。

私だけが帰らない。一人でボールを高く投げて、落下するであろう方へ走り、受取る。薄暗いので受け損ねがちになるのをスリルとして、一人遊びをしつづける。鍵っ子で一人っ子なので、家に帰ったところで、誰もいないのだ。

冬の風に手がかじかむ。手袋の上からはーはーと息を吹く。

夜空の下、田んぼに一人立つ私の、前に、右に左に、後ろに、ぽつりぽつりと灯っている。家々の窓から洩れる灯りが。

帰れば誰かが待っていてくれる子の家の灯り。それは私からボール投げの相手を奪う灯りだった。「ジョゼフ、今日はこのあたりで一晩宿を求めましょうか」

空想の爺やに言う。空想の双子の妹であることもあった。北風に乗ってくる空想の妖精であることもあった。

田んぼの畦道を歩いて帰る。途中、足元が見えないほど暗いところもある。だが、到着地である肝心の自分の家が一番暗い。

周囲に鬱蒼と木が繁っているため、苛々するほど暗いのだ。玄関戸の鍵を手さぐりで開け、中に入るとますます暗い。

子供はすぐに環境に順応すると言うが、鈍い私は暗い家に慣れない。真っ暗な室内を、また手さぐりで進み、電灯のスイッチをつけるまでの間に、何かで見た幽霊だの怪物だのが頭に浮かび、本当に怖かった。

だから急いで二階に行く。二階には南向きの大きな窓がある。その窓である。町で一番かっこいいビルが見えたのは。

銀色のサッシは、いかにも都会的で進歩的で、そこからの、はっきりとした灯りは、窓の内側に満ちる活力を感じさせた。

いる。あそこにいる。働いている人がいる。

サッシ窓からの灯りは、頼りない子供心を、どんなに励ましてくれたことか。

初老になった現在でも、私はあの、オフィス・ビルらしく一直線に区切られた窓からの灯りを思い出す。そして声に出す。あの時は本当にありがとうと。

PROFILE

姫野カオルコ ひめのかおるこ

1958年滋賀県生まれ。
小説家。
印象の薄い県で育ち、マイナーな作風で地味に書き続けている。
連絡先付公式サイトは
http://himenoshiki.com/

姫野カオルコ近影

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

窓からの灯りには「助かった」「ほっとする」といった心地になったことのある人が多いと思うので、そんな体験を綴りました。

このエッセイを読まれた方へ

同世代の読者へ、大阪万博前の田舎町は暗かったですよねえ。
若い世代の読者へ、暗かったんですよ。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

加賀見幸子さんの朗読(番組を録音したもの)。
加賀見幸子さんに甘えて、よしよしと抱っこしてもらっている心地になる。