Vol.01 低いところから失礼します

藤野 可織

高いところに住みたい。高層マンションの最上階なんかどうだろう。階がもうひとつあってもいいくらい天井が高くて、床からその天井まで届く窓がいくつも嵌め込んである部屋だ。外国の映画に、よく出てくる。見つけるたび、ああこれこれ、こういうの、と思う。もちろん部屋からの眺めは素晴らしい。夜、仕事をしながら窓の外にふと目をやったとき、そこにたくさんの家々の明かりが広がっていたら、どれほど孤独がなぐさめられることだろうか。もうひとがんばりしようという気にもなるだろう。しかし、こちらから見えているということは、あちらからもばっちりはっきり見えているということで、そういった部屋はときどき狙撃されている。

ここは日本だし映画の中の世界じゃないから狙撃の心配はないというのに、私はとても低いところに住んでいる。以前住んでいたマンションの部屋は二階で、現在住んでいるマンションの部屋も二階である。おまけに、どちらもとても狭い通りに面して建っている。これがどういうことかというと、窓を開けると向かいの住宅の窓が、たいした遠近感の作用もなくほぼ真正面に位置しているのである。

別の窓は、もっとひどい。接して建っているとなりのマンションの窓が、目と鼻の先の距離にある。ホームセンターで梯子を買ってきて渡してみたら、簡単に行き来できてしまうんじゃないかというくらいの近さだ。

だから、基本的に窓をカーテンごと開け放つということはない。隣近所も同じだと思う。特に近いさきほどの窓など、家具でふさがれてしまっている。あちらの窓ガラスに、家具の裏がぴったりつけてあるのがはっきり見えるので、知っている。

私は日が落ちて、家々の窓の明かりが目立ちはじめるころに仕事を開始する。窓を閉め切ったまま、よその窓の明かりを決して見ることなく机の前にいる。すごくさみしい。耐えられなくなって、私はテレビを点ける。映画専門チャンネルを契約していて、そればかり点けているが、たまに、深夜から明け方にかけてなにかの都合で放送を休止しているときがある。それに行き当たると、もう机につっぷしてしまう。私はこの世界でたった一人なんだ、と絶望する。狙撃されたり、暗殺者や犯罪者によって派手にガラスを破って侵入されたり、そのまま銃撃戦の舞台になってしまうくらい広かったあの憧れのいくつもの部屋を思い出しながら、たっぷりと飽きるまで絶望を味わう。

でも、ほんとうに思い出すべきなのはそれじゃないってことを、私はわかっている。私がお世話になっている編集者さんたちが、遠く離れた東京でこの同じ瞬間に仕事をしているだろうということを知っているし、もし仕事を終えて寝静まっていても、どこかで遊んでいたとしても、私の原稿を待ってくれていることにかわりはない。

見えないものが、見えるものより価値が低いとは思わない。すでにこの世にある無数の本、まだ一文字も書かれていない無数の本とそれらにかかわる人たちこそが、私の思い出すべき窓の明かりだ。その明かりのひとつに、私もなれたらいいなと思う。

PROFILE

藤野可織(ふじの かおり)

1980年京都府生まれ。
同志社大学文学部卒業、同大学院美学および芸術学専攻博士課程前期修了。
2006年『いやしい鳥』で第103回文學界新人賞受賞、
2009年『いけにえ』で第141回芥川賞候補、
2012年『パトロネ』で第34回野間文芸新人賞候補、
2013年『爪と目』で第149回芥川賞受賞。

著者近影

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

「窓の明かり」は、私にとっては贅沢品です。東京へ出張してホテルに
泊まったときなどに、窓にへばりついて舐めるように見ています。

このエッセイを読まれた方へ

私のようにふだん鑑賞用の「窓の明かり」に恵まれない方、
いらっしゃいましたらハイタッチしたいです。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

本とテレビと観葉植物(無駄に世話を焼く)