Vol.56 「入り口としての窓」

楠野 一郎

一人暮らしを始めておよそ30年。そのうちかなりの期間をマンションの一階の部屋で過ごしてきた。自宅に帰って「エレベーターに乗る」という行為が何か嫌なのだ。自分の足で歩いて帰り、そのまま地続きで自分の部屋に飛び込みたい。

以前住んでいた一階の部屋には小さな庭があった。

夜にひと仕事終え、窓を開けっぱなしにしてTVなど見ながらゴロゴロしていた時の事である。

横になって『ガキの使いやあらへんで』を見てゲラゲラ笑っていた自分の足元をすっ、と小さく白い子供が横切った。

「え」と思い飛び起きた。自分は未だに家庭を持ったことがなく、そんな深夜に足元で元気に走り回るような子供が部屋にいた試しなどない。えーっと………霊?

そう思い、意味もなく『ガキの使い~』の音量を上げ、「お化けなんてないさ」を心の中でフレディマーキュリーの声で繰り返し歌いながら部屋の中をうろうろした。その時、再び窓際のカーテンが、風もないのにすっと動いたのだ。

うええええええ

多分こんなような声を出したと思う。仕方ない。お化け怖い。

がしかし、その正体はすぐに解った。

「にゃあ」

子猫だったのだ。 開け放した窓から、どこかの子猫が灯りに誘われて部屋に入ってきたのだった。

こうなると猫好きとしてはテンションが上がる。急いで冷蔵庫の牛乳を小皿に注ぎ、それを使って子猫を手名付けた。子猫は小さな下でぺろぺろと牛乳を舐め、

小一時間ほどじゃれつくと開け放たれた窓からまた去って行った。

そしてその夜から毎晩、それぐらいの時間になると開け放した窓からその子猫が勝手に入ってくるようになったのだ。冬に窓を閉めていると外で「にゃああ」と鳴く。それはもう、招き入れるしかない。

そして子猫は何故かいつも同じような時間…深夜11時から12時ぐらいに窓の外にちょこんといるのだった。

そんなこんなで数か月、深夜に窓から猫を招き入れて牛乳を上げては子猫の柔らかいお腹をふにゅふにゅするという…まあつまり「お前は家で夜に全然仕事してないだろう」という生活が続いた。しかし小一時間とはいえ窓からの闖入者に癒される事は、仕事のストレス解消になった。

そして数か月後。ちと事情あってその部屋から引っ越す日の早朝、6時頃だった。

徹夜ですべて荷物も作り終え、引っ越し業者が来るのをがらんとした部屋で待っていると、窓の外から聞こえた。

にゃあ

窓の外、いつもなら必ず深夜にしか来ないその子猫がちょこんとそこにいたのだ。

まるで、その部屋から引っ越す自分を見送りに来たかのように。

猫サイドとしては「たまたまですけど」という事なのは解っているが、こちらが想像するのは勝手なので、その想像に浸ってちょっと泣いた。

窓をあけて子猫を招き入れ、「ありがとうなー」などと言いながら、でも牛乳も無いので背中だけ撫でてやると、猫は「何だよ何もねーのかよ」といった風情でまた窓から出て行った。それも含めて猫の猫たる良さが出ていてまた泣いた。

一階の窓に感じる「世界との地続き感」の事を思うとあの子猫を思い出す。

PROFILE

楠野 一郎

脚本家・構成作家
映画脚本作『天空の蜂』『東京喰種 トーキョーグール』他。2019年に脚本最新作『ゴーストマスター』が公開される。構成作家としては『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』等の構成を担当。

楠野 一郎

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

1階に住んでいた時期が長いので、他のお宅の窓というものをあまり意識した事が無いのですが、恐らく1階住人なら解ってもらえる感覚かと。
窓はさまざまな入り口。

このエッセイを読まれた方へ

とはいえ1階の窓を猫向けに開け放しておくと夏は庭から蚊がガンガン入ってくるので困りました。しかしあまり強い殺虫剤などまくと猫が来なくなるのでは?とも思ってその夏は身体中蚊に刺されながら猫のお腹をふにゅふにゅしていた記憶があります。
リスクと引き換えの癒しですね。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

眠れない夜はベッドの中に入って「メジャーリーグ史上最強のベストナインは?」とか「プロレス夢のオールスター戦を開催するならどんなマッチメークにする?」などと考え始めると必ず途中で寝ています。朝起きて「はっ!また外野手部門が決められなかった!」などと毎回思いつつ。