Vol.51 「それぞれの光」

三浦 しをん

私の家の近くにはものすごく巨大なマンションがあって、たくさん並ぶ窓が見える。緑でいっぱいのベランダもあれば、洗濯物が翻るベランダもある。もちろん、それなりの距離があるので室内の様子はまったくうかがえないが、同じ規格で並ぶ窓のひとつひとつに、それぞれの暮らしが宿っていることが感じられる。

夕暮れどきに、自室の窓からぼんやりとそのマンションを眺めるのが好きだ。並んだ窓にぽつりぽつりと電気が灯りはじめ、暗闇でなお息づく大きな生命体のようだからだ。やがて、ほとんどすべての窓が明るくなって、「ああ、住人たちはきっと団欒をしているんだろうな」とか、「いやいや、喧嘩をしている家族もいるかもしれないぞ」などと想像してみる。私は一人暮らしなので、巨大マンションの明かりを見ると、なんだかさびしいような気持ちにもなる。

一部屋だけものすごく宵っ張りな窓があることに、昼夜逆転生活を送る私は気づいている。夜が深まると、並んだ窓の明かりがひとつずつ消えていく。けれどその部屋だけは、ほぼ毎日、朝方まで電気がついたままだ。どんなひとが住んでいるのだろう。締め切りに追われる漫画家さんだったりして。あるいは部屋が明るくないと眠れない会社員かもしれない。

白んできた空のもと、寝るまえに私はちらとその窓を確認する。まだ明かりが灯っていたら、「今日は私の負けだ。おつかれさま」と、すでに明かりが消えていたら、「ふっふっ、よい夢を」と、内心で挨拶する。向こうも私の窓に気づいているだろうか。「あいつ、なんの仕事してんだろうなあ」と想像をめぐらせることがあるだろうか。私は勝手に、同志的頼もしさと親近感を覚えているのだが。

巨大マンションが文字どおり「火の消えたよう」になるのは、盆暮れ正月だ。住人の多くが故郷に帰ったり旅行に行ったりするのだろう。巨大な箱と化したマンションの黒いシルエットが、なんだか肩を落としているように見える。私も、「みんな早く帰ってこないかな」と思いながら、灼熱のなか植物の手入れをしたり、ストーブをお供に雑煮をすすったりする。

反対に、巨大マンションが活気づくのは、たとえばサッカー日本代表の試合がテレビ放映されるときだ。「いま、得点が入ったな」と、 テレビを見ていなくても試合の状況を把握することができる。並んだ窓から近隣へと、住人たちの歓声が轟くからだ。いったいどれぐらいの人数が、あの窓の向こうに住んでいるのかと驚く。たぶん何千人単位であろう、とても大きなマンションなのだ。

でも、ふだんはみんな、静かに淡々と日常を営んでいるように見受けられる。ベランダの緑がもこもこ繁り、洗濯物が風に揺れたり気づくと取りこまれていたりする。窓はひたすら、夜になると明かりをこぼし、朝が来たら日の光を受けることを繰り返す。

いとおしい、としか言いようのない営みだ。

窓は外界との隔てとなるものではなく、光を放ち光を取り入れることで、ひとの心に明かりを灯すものなのだと私は知った。闇に灯る光のひとつひとつに、見知らぬだれかの喜びや悲しみがある。それはなんとさびしく、けれど尊いことだろう。

PROFILE

三浦 しをん

作家。1976年東京生まれ。
2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。以後、『月魚』『ロマンス小説の七日間』『秘密の花園』などの小説を発表。『悶絶スパイラル』『あやつられ文楽鑑賞』『本屋さんで待ちあわせ』など、エッセイ集も注目を集める。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を、12年『舟を編む』で本屋大賞を、15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。ほかの小説として『むかしのはなし』『風が強く吹いている』『仏果を得ず』『光』『神去なあなあ日常』『天国旅行』『木暮荘物語』『政と源』等がある。

三浦 しをん

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

たいてい四角くて、触るとひんやりしていて、つまりは「無機質」なはずなのに、私は窓を見るとなぜか、あったかそうだなと感じ、住人についていろいろ想像をしはじめます。窓って不思議だなといつも思います。

このエッセイを読まれた方へ

窓拭きは年に何回しますか?
私は一回です。曇りガラス(になってしまった窓)も、また乙なものです。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

眠くなるまで読書をします。おもしろくてますます目が冴えてしまうことも多々ありますが。